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第一回福岡開催レポート


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2016年3月28日(月)福岡県福岡市にて、第1回目の開催となる
「THE EXPO~百年の計~in福岡」が盛況のうちに開催され、終了した。
「100年企業に学ぶ事業継続性の秘訣」をテーマに、
福岡と東京の100年企業4社によるパネルディスカッションと
参加者全員での懇親会が行われた。そのイベントの様子を総力特集!
※下記メディアにて掲載・放送されました。

4月23日(土)西日本新聞朝刊「特集面」
4月24日(日)テレビ西日本 あさ8:25~8:55「特別番組」

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100年企業に聞く、伝統・革新・極意

 九州の経済の中枢である、福岡・博多。その中心地にあるエルガーラホールにて、〈THE EXPO 百年の計 in 福岡〉が開催された。全国に約3万社あるという創業100年超の企業に地域ごとにスポットを当て、その技術・文化・伝統に経営の極意を学ぶイベント、。その記念すべき第一回の開催となる。

 このEXPOでは、地元に根ざし事業を展開する100年企業2社と、全国的にその名を知られる東京の100年企業2社の社長が登壇し、パネルディスカッションを通してその経験、理念、展望を語る。今回パネリストとして参加したのは、福岡からは、株式会社石村萬盛堂の石村僐悟社長、株式会社喜多屋の木下宏太郎社長が、東京からは、株式会社龍角散の藤井隆太社長、株式会社新橋玉木屋の田巻章子社長の4人。またコメンテーターとして、西日本新聞社の椛島滋氏、福岡銀行の大庭真一氏が登壇した。

 会場には、次の100年企業を目指す経営者が多数来場。ほぼ満席の熱気の中、大きく6つのトークテーマに沿って、100年企業が持つ事業継続性の秘訣が語られた。

守るべきもの? 捨てるべきもの?

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[パネリスト]株式会社喜多屋
代表取締役社長 木下宏太郎

 最初のテーマでは、まず喜多屋の木下社長が発言した。江戸文政年間に創業し再来年には創業200年の節目を迎える酒蔵には、代々守ってきた家訓ならぬ〈家憲〉があるという。

「〈主人自ら酒造るべし〉というものです。創業した初代から7代目である私まで、代々受け継いでいる家憲で、私自身ほとんどスーツを着ることなく、現場に入って酒を造っています。

 私が幼い頃は、毎年冬の酒造りの時期になりますと、祖父が私の手を引いて蔵に入るんです。そして、まだ子供の私に酒造りの情熱を語っていました。手と手、血の温もり、そういうものを通して、自然に、空気を吸うように喜多屋に込められたたくさんの思いを共有し、吸収したのだと思います。」

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[パネリスト]株式会社龍角散
代表取締役社長 藤井隆太

 次に発言したのは、龍角散の藤井社長。今や日本のみならずアジア圏でも高い知名度を誇る企業だが、一時は倒産寸前にまで追い込まれた。その経験をもとに経営の取捨選択を語った。

「もともと秋田の殿様の御殿医で、喘息だった殿様になんとか楽になって頂きたいということでできた製品ですから、これを使って大儲けしちゃいけないという思いがあります。要するに社会貢献が第一の目的であって、そこは譲れない、守るべきものだと思います。

 一方で、40億円の借金があった会社を引き継いだものですから、この状態では社会貢献ではなくむしろ社会悪なんじゃないか、私の手でつぶしてやろうかと本気で思いました。

 そこで捨てたのは、過去の成功体験です。非常によく売れていた高度経済成長期の経験をバッサリ切り捨てることから、再建はスタートしました。」

商品力とは?

 新しい商品の開発は、どんな会社にとっても不可欠であり避けては通れないものだろう。100年企業は、長い歴史の中で培ったブランドを活かしつつ、どのような戦略で商品力を磨いているのだろうか。ここで印象的だったのは、龍角散・藤井社長の言葉だ。

「心に決めているのは、オンリーワンであること。誰かができることなら誰かにやって頂けばいい、だけど、これはうちしかできない、うちがやるしかない、誰も嫌がってやらない、そういうことをやってきたつもりです。例えば〈らくらく服薬ゼリー〉という商品がありますが、これは誰もやらなかった。儲かるかどうかわからなかったからです。でも、私が介護施設をまわってみたら、お年寄りはお粥もご飯も薬をかけて食べている。これは切ないですよ。これを当社の技術で解決できたら最高の社会貢献だろうと思ったわけです。あったのは戦略ではなく、人として当たり前の思いですね。」

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[パネリスト]株式会社新橋玉木屋
代表取締役 田巻章子

 新橋玉木屋の田巻社長は、登壇者の中で唯一の女性社長である。ここでは、女性ならではの経験で商品力を語ってくれた。

「4人子供がいるんですけど、息子が子供の頃、佃煮を食べてブルブルって震えたんです。うちは防腐剤を一切使っていないこともありまして、子供にとっては震えるくらいしょっぱかったんですね。だから、私が食べさせたいもの、私が食べておいしいと思うものを作ろうと思いました。伝統の味をいきなり変えるわけにはいきませんから、徐々に、粛々と、気付かれないように、味を変えていきました。その間にいろんな商品も開発しましたが、すべての商品をまず私が家庭目線で作って、その味を社員に伝えて、それから量産するようにしました。最近おかげさまで、玉木屋さんの佃煮は何食べてもおいしいっていうお声を多く頂きますが、ここまでなんと30年かかりました。」

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