第五回名古屋開催レポート

2017年3月3日(金)第5回目の開催となる「THE EXPO~百年の計~ in 名古屋」が愛知県名古屋市の名古屋東急ホテルにて開催されました。
「THE EXPO~百年の計~」は、これまで長寿企業が培ってきた歴史と経験の中から、100年企業が独自に持つ“哲学” “歴史観” “文化”を学び、「正しい判断基準=企業の姿勢」と向き合う機会を提供することを目的とし、“事業継続性“をテーマとしたパネルディスカッションをメインプログラムに、地域活性化のための優良企業間のコミュニケーションの場として交流会が行われました。

プログラム

■第1部
・衆議院議員 古屋圭司氏によるビデオメッセージ
・後藤俊夫氏(一般社団法人100年経営研究機構 代表理事)による基調講演
・パネルディスカッション
■第2部
・佐々木則夫氏(サッカー日本女子代表 前監督)によるトークショー
・交流会

基調講演


一般社団法人100年経営研究機構
代表理事 後藤俊夫 氏

世界から注目される日本の長寿企業とその秘訣

世界的に見ても稀有な長寿企業を擁する日本。その理由はいったい何か。日本における長寿企業、ファミリービジネス研究の第一人者である後藤氏が、自身の研究データを示しながら「世界で注目されている日本の長寿企業とその秘訣」を語った。

 私は1999年より「企業持続」というテーマで研究を続け、18年が経とうとしています。100年を超える企業は日本に何社あるか、私が調べるまではわからなかったわけです。その後、2007年にNHKで「長寿企業大国にっぽん」という番組が全国放送され、ここでようやく日本が長寿企業大国であることが知られるようになりました。
 長寿企業のほとんどがファミリービジネスです。私はその研究を続け、昨年「ファミリービジネス白書」を出し、先月には「長寿企業のリスクマネジメント」という本を出したばかりです。このテーマは海外からも非常に注目されていて、「日本の事業承継の秘訣を聞きたい」という要望を受け、これまでコロンビア、上海、北京に赴き、今後もポーランド、フィリピン、インドネシア、スリランカ、インドの方々とお話をするところです。

データで見る稀有な長寿企業大国、日本

 では長寿企業はいったい日本にどれだけあるのか。2014年現在のデータで、千年以上続いている会社は21社。これだけでもまず驚きです。
 さらに500年以上続く企業が147社、300年以上が1938社、200年以上が3,937社、100年以上は25,321社。そして毎年千社単位で増え続けています。
 国別だと、創業100年以上の企業数の世界1位は日本、2位が米国、3位がドイツ。200年以上では、1位が日本で、ドイツ、イギリス、フランスと続く結果になりました。
 世界で一番古い会社は日本にあり、創業は西暦578年です。株式会社金剛組といい、聖徳太子が寺を建てるため朝鮮半島から招いた宮大工三組のうちの一組がいまもなお続いているのです。
 このことからも、世界で日本が長寿企業大国として注目されているわけがわかると思います。

長寿企業成功の「6つの定石」とは

 では、長寿企業の成功の定石はどこにあるのか。
 私は6つ挙げております。1番目は、長期的視点に立った経営。ここでいう「長期」とは100年のスパンです。最初の10年で後継者を定め、30年は社長として頑張り、100年で孫の代まで続けるという視点に立つということ。2番目は持続的成長の重視。3番目は自己優位性の構築と強化。4番目は利害関係者との関係性を長期にわたって大切にすること。そして5番目に安全性の備え、6番目に継続の強い意志と続きます。
 つまり、これらを愚直に丹念に続けて行けば100年続いていくわけです。


企業は、社会の公器である

 長寿企業の秘訣。それは、“社会の公器”たることです。
 このことを最初に言ったのは松下幸之助翁と思われます。彼には「社会に役立つために経営者はお金を預かっているのだ」という共存共栄の思想がありました。
 自己犠牲の精神といえば、私は2011年の東日本大震災で被害を受けた東北の長寿企業を巡り、ある思いを強くしました。
 200年続いた陸前高田の造り酒屋の社長は、震災直後行方不明だった家族の安否確認を後回しにし、従業員を探したとのこと。その後再会し泣いて抱き合う光景が、YouTubeで世界に流れたのであります。
 さらに釜石の食品製造業では、被害を免れた工場の在庫のかまぼこを、まだ売れる商品なのに、無料で配った。その主人は淡々と私に語りました。
 「100年も会社が生きてこられたのは、周りの人々のおかげ。いまは恩返しの時期です」と。
 企業はこのように社会の公器、お役立ちたること。これが事業継続の秘訣であり日本のファミリービジネスの最大の目標であるという思いを強くしたのです。

長寿企業こそ、世界に誇るべき日本の宝

 私利私欲は決して悪いことではありません。それを従業員、お客様、地域社会、社会全体のためにと広げていくこと。これを公益性の「昇華」と私は言っています。日本の経営者にそれが浸透しているのは、仏教、儒教、神道という文化背景があるからでしょう。
 2014年に元米国副大統領のアル・ゴア氏に会う機会があり、そこで私は「長寿企業のビジネスモデルは未来志向で、成長モデルの見本だ」と強調しました。地球資源の節約にもつながる観点に共感したゴア氏は、「日本の長寿企業に敬意を払う」と語りました。ソーシャルビジネスの7原則を唱え、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス博士とも「事業性と社会性の両立」について連携していくことになっております。
 日本の長寿企業とは、世界の誇るべき宝であること。そしてその秘訣を、今日はお話いたしました。

パネルディスカッション

百年を越える長寿企業に学ぶ、事業継続性の極意


■パネリスト

四日市印刷工業株式会社 代表取締役社長
山口 史高 氏


株式会社森八 取締役女将
中宮 紀伊子 氏

ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン 理事長
株式会社ヴィアン 前代表取締役社長
株式会社丸仁ホールディングス顧問
高梨 一郎 氏

■ファシリテーター

ユニバーサルデザイン総合研究所所長
科学技術ジャーナリスト
百年の計実行委員会 実行委員長
赤池 学 氏

長寿企業・はじまりのストーリー

 明治10年の創業から140年続く四日市印刷工業株式会社。五代目・山口社長は3年前に社長に就任した。事業のルーツは「お伊勢参り土産のうちわ作り」だという。

「江戸時代、東海道を歩く伊勢参拝客が土産として求めた“日永うちわ”。これで培った技術を活かし、木版印刷をとり入れ、『山口堂』を創業しました。その後、清酒のラベルや薬などの箱を手がけ、印刷業へと拡大したそうです。現在大きく手掛けているのは食品関係の包装紙で、お菓子のパッケージの企画、デザインから携わる、印刷・加工の総合制作会社として皆さまに覚えていただいています。伊勢土産で有名な「赤福」さんの包装紙は昭和初期から当社が手掛けさせてもらい、大変お世話になっているんです。」

 次に、創業から390年続く株式会社森八の中宮紀伊子取締役女将がマイクを受け継ぐ。森八は日本三大銘菓として有名な名菓「長生殿」を世に生み出した会社だ。

「森八の創業は江戸初期の1625年、寛永2年のことです。加賀藩の御用御菓子司として藩の手厚い保護を受け、先祖代々金沢の地でお菓子作りを続けて参りました。現社長である主人が18代目当主にあたり、私は女将となってから22年ほどになります。日々新しい発見があり、お客様と接することでいろいろ教えていただきながら修行しております。」

 3人目のパネリストは、ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン(FBNJ)の高梨一郎理事長。

 「我々(FBNJ)はファミリービジネス、家族経営の成功と持続的成長を支援していく国際的組織です。本部はスイスのローザンヌにあり、1990年に産学共同の非営利団体として設立されました。80年代以来ヨーロッパではファミリービジネスの研究が始まっていて、『一般企業よりも業績がいいのはなぜなのか』『長寿であるその理由は何か』と関心が高まり、その研究のため産学共同という形で設立された経緯があります。日本では2002年に立ち上げられましたが、特に日本は長寿のファミリービジネス企業が多く、日本のファミリービジネスについて情報を交換したいという要望を世界各地から受けているところです。」

経営危機は、こうして乗り越えた

 長い歴史の中では当然、経営の危機に見舞われることもある。そのターニングポイントで、彼らはどのように対処し、立ち直ることができたのか。
 山口社長は、3代目である祖父の時代に迎えた最大の危機を挙げる。

「祖父は名古屋でグラビアという新技術の印刷会社を立ち上げたんです。グラビアというのはお菓子の袋印刷のことで、当時はまだなかった事業。時代的に早すぎたスタートで、技術的にも足りず、お客様との関係もギクシャクしてしまい…」

 資金不足に陥りわずか12年で解散となったが、この新事業に資金をつぎ込んでいた四日市本社の経営は“火だるま”状態になったという。共同出資者に資金援助を頼んだが、手をあげるものは誰もいなかった。
 創業以来最大の危機。唯一手をあげたのが、出入りをしていた紙卸業の社長だった。4代目である父に経営を渡すことを条件に、リスクの高い決断をしてくれたという。

「その紙卸会社の営業部長と私の父とは、かねてから懇意の仲。その営業部長が『4代目とは馴染みの仲で、彼ならきっと大丈夫だと思う。だから助けてあげてほしい』と頼んでくれたそうなんです。これで当社の最大の危機は救われました。その後オイルショックを迎えて紙がなくなった時代も、その営業部長が優先的に紙を調達をしてくれたおかげで、うちだけは印刷機を回すことができた。赤字から黒字経営に転じたきっかけになったんです。」

 危機を救ったのは、人同士の信頼関係。それを築くのが長寿企業のポイントと山口社長は強調した。

 一方の森八。かつては大名お抱えで安泰だった同社にも、明治以降、その存続が危ぶまれる深刻な危機が訪れる。

「この100年では危機は3回あり、ひとつは明治時代。菓子屋なのに水力発電や市内に電車をひいたりして、破産寸前になりました。お菓子業に専念してからV字回復したと聞いています。二度目は戦争中、そして最大の危機は22年前の1994年6月。60億円の負債を抱え、和議を申請した時です。」

 和議とは、和議法(民事再生法の旧法)に基づいて債務者が債務を完済できない状態に陥った時に、破産を予防し再建を図る法的手段。4分の3の45億円の返済計画案を提出し、債権者の賛成も得て、再建は開始された。中宮女将は背景をこう振り返る。

「うちは代々、経営は番頭任せ、という伝統がありました。社長、奥さん共に店のことはわからない。社長が見るのは、粉飾決算した書類だけ。材料調達の際も見積もりは一切なし。請求書の通り払っていた。“森八会”というものがあって、お米から何からその会の業者から仕入れていました。支えてくださる集団だと思っていましたが、逆でした。私が入って調べてみると、すごく高いものばかりだったんです。そこで正しい見積もりを出してもらうなどして再建を進めたところ、半年で1,000万円が削減できて勇気がわきました。私は経営は学んでいませんが、“女性・主婦の勘”が働いたんですね。」

 和議申請とともに取締役になり、再建に陣頭指揮を取った姿はNHKでドキュメンタリーとして放送され、大きな反響を呼んだ。

「ある時、包装紙の裁断した余りが気になって。どうしているのかと聞いたら捨てていると。『捨てるなんてもったいない!』と、活かすようにしました。お客様に差し上げると、喜ばれましたね。その感覚で再建を続け、10年かかるといわれたところ、7年で45億円を返済できたんです。」

伝統=革新。長寿の「DNA」とは

 さまざまな危機を乗り越え、持続すること。ファミリービジネスの世代交代は実は難しい。長年研究する立場から、高梨氏は数字をあげて語る。

「統計では、先代から2代目にバトンタッチできるのは、全企業の30%。3代目まででは12%と少なくなり、4代目に至っては全体の4%だけ。持続がそれだけ難しいことは数字にも表れています。よく『3代で家を潰す』と言われますが、アメリカやヨーロッパでも同じように言われている。世界共通の問題なんです。
 しかしその一方で、生き残る会社もある。『それはなぜ?その秘訣は何?』と、注目が集まっています。その秘訣を学び、若い会社に埋め込んでいけば、そのDNAは継承されていくのではないかと期待しています。」

 では、最大の秘訣は何か。それは、老舗にあるこだわりや伝統と同時に、「革新」と断言する。

「昔のやり方を継承しているだけでは潰れてしまう。革新を続けていかないと企業は続かないんです。ある時、和菓子の老舗・虎屋さんに『味はずっと同じなのか』と聞いたことがあります。が、『その時代時代に合わせて、味を少しずつ変えている』と。変えないといけない、今の客の嗜好に合わせないとけないということを自覚しているんですね。」

 伝統イコール革新の連続。短期的ではなく、長期的・次世代の視点に沿って俯瞰的に物事を見ていくのが大切と、高梨氏は指摘する。

時代を超える術。使命感とともに

 未来に向けて最も重視していることは何か。
 山口社長はバブル景気後の不振を契機に、印刷技術をゼロから見直し、強化したと語る。

「当社は今でこそパッケージを多く作っていますが、バブルのころはチラシやパンフレットの印刷の仕事ばかりだったんです。とにかく仕事がありましたから。ところがバブルは弾け、仕事がなくなってしまった。そしてあらためてパッケージに力を入れたのですが、チラシばかりをやっていた反動で印刷技術が格段に落ちてしまっていたんです。そこで、技術を足元から徹底的に見直しました。検査カメラを印刷機に搭載したり、一枚一枚検品したりと信じられないようなアナログなこともしながら、お客様にいい製品を届けられるようにしています。」

商品開発部門でも、日ごろの研究を怠らない。

「全国のお菓子を取り寄せて、どんな材料を使ってどんなデザインをしているかなど、パッケージの研究をする部門を立ち上げました。森八さんのお菓子も買わせていただいているんですよ。こうして常にレベルアップを図っています。」

 創設の原点「パッケージ」を続ける使命として、時代の変化に対応する努力を続けてゆく。その革新の意気込みを、山口氏は熱く語った。
 中宮女将も、「革新」の言葉にうなずく。

「これまで当社には、家の者はお菓子を作らないという鉄則がありましたが、次女が和菓子職人になり、女性第一号の職人として働いています。今は差別化の時代。390年作ってきたお菓子はこれでいいのかと考え、すべてのお菓子の内容や配合を見直しました。餡のバランス、寒天を加えたり、こんにゃくを入れたりと工夫しています。可愛いものが大好きな次女からは『こんなものが入っちゃうの?』というアイデアも出てきて、従来の職人も刺激を受けているようです。」

 最近では、外国からの旅行者がガイドブックを片手に訪れることも多くなったという。サービスのお茶を出して、歓談しながら案内しているとか。

「会社を大きくしようという考えは、私にはみじんもないんです。ここまで続けてこられたのは、我々に使命があったから。それは菓子文化を守り、それを後世に伝えていくこと。“いいものを一所懸命に作る”。売り上げはそのあとからついてくるものです。
 お菓子を売っていくら、ではなく、『お菓子を通じて、いかにお返しできるか』という気持ちを常に持ち続けたいと思います。」

NEXT 100~目標と提言

 これからの100年。リーダーたちはどのようなことを目指し、どんな夢を持つのか。見据えるのか。また、スムーズに世代交代していくポイントは何か。

「信頼関係は絶対に守っていきたいと思います。祖父の代から応援してくださる方、会社の再建時に安月給で働いてくれた従業員の方。今の自分があるのは、やはり多くの方との“信頼関係”があったからだと思うんです。
 先日、86歳の方がひょっこり会社を訪ねてこられました。聞くと、父の代の大変な時に営業として働いていた方とのこと。会いに来てくれたことを思うと、私も感無量でした。和を保ち信頼を築いて働ける環境であり続けること。これを最も大切にしていきたいと思います。」(山口社長)

「うちのお菓子の原料はすべて国産です。国産を使い続けるのは厳しいことなのですが、変える気はございません。価格も22年前から一切値上げせず努力してやっております。どこまでできるかわかりませんが、何よりも美味しいものを召し上がっていただきたい思いがあるのです。
 2011年金沢市に本店を新築移転した時に美術館を作り、江戸時代から使われてきた菓子木型など千数百点を一堂に展示して皆さんに楽しんでいただいています。落雁作りを体験できる講習会も人気です。もっとそんな施設を設け、工場も増設する。それが私の人生をかけての夢です。
 小さくても続けられる企業であること。次の目標は創業500年。それを目指して進んでいきたいと思っております。」(中宮取締役女将)

「現在の社長の平均年齢は約60歳。これは年々上がってきています。ある調査では、後継者をしっかり決めているリーダーは全体の15%だけ。あとは「継いでくれればいいかな」と心で思うだけで、年を取ってしまっている。
 スムーズに事業継承するには、早い時期から引き継ぎを計画するのが大切です。そして文書にし、社内でも共有していく。そのなかで後継者のスキルや方向性を見極めていく。そうすることで比較的スムーズに引き継ぎができ、世代交代が成功するのだと思います。」(高梨理事長)

第2部 交流会

パネルディスカッション終了後、場所を移して開催され第二部では、サッカー女子日本代表 元監督、佐々木則夫氏によるトークショーを開催。また、当日の登壇者を交えた懇親会も開かれ、名古屋経済の将来を担う経営者たちの熱気で会場は大いに盛り上がりました。

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