海外貿易の発展に活路を見出し佐倉から横浜へ 〜160年変わらぬ味を貫く「岩井の胡麻油」が目指す世界マーケット開拓への道〜

貿易の発展に合わせ千葉から横浜へ

伝統の製法を受け継いだ高品質の胡麻油を作り続け、今年でちょうど160年。岩井の胡麻油株式会社は、1857(安政4)年、千葉県佐倉市で創業し、胡麻のほか菜種や落花生といった千葉県ならではの作物からの搾油を、栽培から一貫して手がけていた。

しかし、創業から36年後の1893(明治26)年、佐倉から遠く離れた横浜に移転する。理由は、胡麻の調達。胡麻は昔から収穫の手間のわりに収益性が低いことで農家に敬遠されてきた作物であり、日本における胡麻の自給率は現在わずか0.1%だという。しかし明治になり他国との貿易が盛んに行われるようになると、海外から安定的な胡麻の供給が見込めるようになった。そこで、当時の日本の海の玄関口であった横浜に工場を移し、輸入からすぐに生産体制に入れる環境を整えたのだ。横浜の貿易港としての歴史と発展を象徴する企業と言ってもいいだろう。

現在、会社の指揮を執る岩井徹太郎氏は、社長として8代目。創業家に生まれた彼にとって、会社はとても身近なものだったという。
 
「3代目の祖父が土地を買って工場を建て、父も工場が見える山の上に居を構えました。つまり、我が家から工場が見えるわけです。それで、どこかで火事が起きて消防のサイレンが鳴ると、父が真っ先に庭先に出て工場を見て、『よかった、うちじゃない』と確認する。油工場ですから火には神経質でした。真夜中でもサイレンが聞こえると布団から飛び起きて、工場を確認していましたね。」

物心ついてからも、毎日のように工場に遊びに行ったり、工場の前の運河で釣りをしたりしていたという徹太郎氏。しかし、社会人になってすぐに家業に就いたわけではない。大学卒業後は伊勢丹に就職。日本を代表する名門百貨店で磨かれ、海外勤務も長く経験した。

「伊勢丹は当時から社員教育に非常に力を注いでいて、商品に関する知識はもちろん、物事の考え方から人間としての生き方まで、大変勉強させていただいた。26歳の時には研修ツアーで初めてアメリカに行きました。まだ1ドル360円の時代です。衝撃でしたね。よくもこんなすごい国と戦争したなと。父から会社の話を聞いたこともほとんどありませんでしたから、僕の社会人としてのルーツは伊勢丹であり、それを岩井流に翻訳して経営に活かしているわけです。」

会社には理念も方針も何もなかった

ところで、徹太郎氏は8代目の社長だが、彼の父親は4代目にあたる。つまり、決して長い期間ではないものの、創業家以外の社長が就任した時期もあったことになる。この時期は、会社にとっても決して順風満帆な時期ではなかった。

「伊勢丹にいた時代も株主総会には出ていましたので、会社の経営状態が悪いことはわかっていました。新規投資など、やるべきことを何もやっていなかったし、株が他人に渡ってしまって、その株主が経営にあれやこれやと口を挟んできたこともありました。」

2001年。34年間の伊勢丹勤務を経て、満を持して岩井に入社。状況を見かねた彼は、伊勢丹での経験やノウハウを積極的に会社に取り入れ始める。

「当社には、理念や方針といったものが何もありませんでした。どこから手をつけようかと迷ったほどです。例えば、朝礼をやろうと提案をする。すると、前例のないことはやめておけと言うんです。パソコンは計算機に毛が生えたような使い方しかしていなかったし、社員教育も、古い会社ならではの“背中を見て覚えろ”という雰囲気でした。搾油工場の床もベタベタで、キレイにしようと言っても『何を言ってるんだ』と。僕が何かを言えば『新参者が何を言っているんだ』となる。やるべきことをやっていなかったがために然るべき業績になってしまっていたということです。」

入社してすぐに社員に配布した資料で、彼はこんな経営方針を説いている。

100年以上たった巨木でも、
手入れをしなければ枯れてしまいます。
岩井は今その状態です。
根はまだしっかりしています。
だからその巨木に水・太陽・肥料を与えれば、
再び、緑豊かなたわわな枝ぶりが復活できます。
現状をしっかりと把握し、
一人ひとりがしっかりと工夫し、自己革新をし、
明るく元気な企業に生まれ変わる努力が大切です。

「とにかく、あるがままに経営してきた会社だったんです。バブルの時には業者が会社の土地をものすごい値段で買いに来たらしいんですが、そういう時も何もやらなかった。いたずらに投資したりすることもなかった。だからつぶれなかったということも言えるんですけどね。僕なら土地を売ってしまっていたかもしれませんから(笑)。」

経営方針づくりの次に取り組んだのは、具体的な販売プランづくり。徹太郎氏の入社当時、販売シェアは業務用が約65%、輸出が約25%、約10%がその他で、小売りはわずか1%程度に過ぎなかった。そこで、家庭用に力を入れるべく、百貨店・高級スーパー・地域密着のスーパーをターゲットにした。クイーンズ伊勢丹のプライベートブランド商品を製造し、試食会などのイベントがあれば、家族を連れて率先して販売に立った。ネットショップも展開し、小売りのシェアは少しずつ拡大していった。

一方、守り続けるべき部分に対しても、彼は非常に強いこだわりを持ってその継承に取り組んだ。

「大切なのは、残すべきものと変えるべきものの判断です。うちで言えば、生産ラインは変えてはいけない。大手メーカーでは遠心分離機で不純物を取り除きますが、うちでは一切それをしません。時間をかけて不純物を沈殿させ、きれいになった上澄みをさらに濾過します。手間はかかりますが、そこがうちの強みであり、差別化されるところですから。

ラベルにも同じことが言えます。戦前にデザインされたものなのですが、これが“レトロで新しい”と評判がいいんです。ブランドの象徴としても変えてはいけないと思っていますし、岩井のコーポレートカラーとしてもっと定着させないといけないと思います。」

順風が吹いた時に、いかにそれに乗れるか

12年前、会社周辺地域の再開発事業に伴い、本社を移転新築。徹太郎氏は、これを千載一遇のチャンスと感じたという。

「会社には、節目節目で風が吹く時があります。地震や火事などの逆風もありますが、順風が吹いた時にいかにそれに乗れるか。上手いサーファーほど良い波を逃さないのと一緒です。そういう意味で、私が来る前の会社は、まったくその風に乗れていなかったのだと思います。

その意味で、会社の移転新築というのは、それはもう大きな、神様がくれたようなチャンスだと感じました。だから、そのタイミングで制服を変え、記念式典にいらしてくださったお客さまに工場の説明ができるよう社内教育もしました。

当社の企業経営の指針には、“伝統 守・破・離”という言葉があります。これは、まずは伝統を守り、理解してマスターしたら、それを破って革新させていくということ。良いものは守る。破るのなら、きちんと理解し精査した上で破る。“守”の要素はもともと社風としてありましたから、“破”と“離”の部分で旗を振るのが僕の役割だと思います。」

現在、会社では長女の理恵子氏が宣伝・広報に関わるなど、次の時代に向けての取り組みも着々と進んでいる。

「ごま油は成熟したマーケットと思われがちですが、それはアジアのごく限られた国でのことであり、グローバルな視点で見ればまだまだ伸びしろがあります。例えばオリーブオイルは、日本に入ってきてまだ20年も経っていないのに、胡麻油のシェアをあっという間に抜いてしまった。その事実を考えた時、また海外での日本食ブームを鑑みた時、海外マーケットの開拓というのは非常に魅力的だと思っています。

国内では、家庭での認知度をもっと上げていきたいですね。それも、うちならではの差別化された高品質の商品で勝負したい。まさに守破離の精神で、まだまだいけるぞ、という手応えを感じています。」

百年の計

イベントスケジュール