変化がなければ進化はない。輸出から輸入。家具雑貨からチョコレートへ。時代と共に生きる事業継続の極意。

株式会社山本商店 代表取締役 山本俊一

貿易に商機を感じた祖父が旧居留地で創業し、今年で106年

「ジャンドゥーヤ・チョコレート」の発祥として知られるイタリア・トリノの老舗チョコレート・ブランド、「カファレル」。その日本における総輸入代理店として、山本商店は近年、好調な業績を誇っている。メリヤス製品の輸出を手掛ける会社として現代表取締役・山本俊一氏の祖父にあたる故・山本博一氏が神戸の旧居留地で1911年に創業したのが、その始まりである。

和歌山の出身だったという博一氏は、大阪商業講習所(現在の大阪市立大学のルーツ)を卒業後、岩井商店(のちの日商岩井、現在の双日)に入社。27歳の若さで神戸支店長に抜擢され、31歳で独立したという。俊一氏はその祖父から数えて3代目、社長としては5代目にあたるが、生まれた時には既に創業者である祖父は他界しており、2代目社長であった父の博男氏も17歳の時に他界。

その後、暫くは母親が社長を務めていたが、34歳で社長に就いた。その為、創業家の直系男子としての教えは殆ど受けた事が無かったと振り返る。

「私は父が46歳の時の子供で、私が商売を分かる様になる前に父は亡くなってしまいましたから、帝王学的な教えは全く無かったですね。でも、物心が付いた頃の会社の雰囲気は今でも良く覚えています。

当時はバラック建ての倉庫の2階にオフィスが有り、整然と並んだ机の上にタイプライターが置いてあって、壁には世界地図が貼られていて、子供心にハイカラなイメージが有りましたね。

父は東京帝国大学(現在の東大)卒で、7ヵ国語を操っていました。寝る時には必ず(アメリカの雑誌)「TIME」を読む様な人で、家には取引先の外国人ビジネスマンもよく来て、ちょっとしたホームパーティーのような事もやっていました。

 一方で、明治・大正時代の気骨を感じさせる古い人間でもありましたね。私が何かやらかすと直立不動で立たされて、必ず論語で説教されるんです。正直、何を言われているのか分かりませんでしたけど(笑)。」

戦争による特需と荒廃に翻弄された祖父の時代

創業当時の神戸は、東の横浜と並ぶ貿易港として日本経済において大きな役割を果たしていた。その中で山本商店の事業も大きく飛躍。一時は従業員300名を数える組織へと成長したという。

「第一次世界大戦時の、いわゆる戦争特需ですよね。それで会社が急成長した様です。当時の神戸には鈴木商店という巨大な貿易商社があったのですが、そこと張り合い、世界7か所に事務所を置いていたそうです。

しかし、第一次世界大戦後の戦後恐慌、関東大震災の震災恐慌や昭和恐慌等により大きな打撃を受けて、資金繰りに行き詰まり破綻してしまった。そこで一旦会社を整理して、規模を縮小して事業を継続しながら10年ほど掛けて借金を完済し、またスタートしたと聞いています。しかしすぐにまた第二次世界大戦の時代へと入ってしまったので、戦時統制経済下でとても商売にはならなかった様です。

 結局、祖父は時代に翻弄されて、思いを全うせずに終わったのではないかと思います。その時代は誰でも多かれ少なかれそうだったのでしょうが、貿易という仕事柄、特に影響は大きかったでしょうね。」

痛みを伴っても「変化」することが長寿経営には必要

長寿経営に必要なものは何か。その問いに、山本代表は「変化」と答える。事実、山本商店も、時代や世代が変わるごとに事業を変化させてきた歴史がある。

「戦後は、それまでの輸出一辺倒の事業からいち早く輸入に舵を切った様です。戦争を経て国全体がゼロからスタートする中、中小貿易商社である当社はニッチな分野に商売の活路を見出す様になっていました。日本の家電産業が成長する以前の時代には洗車機やストーブ等を扱ったり、その後は民芸品や家具を輸入していた様です。

私が入社した時も、家具や雑貨関係をメインに取り扱っていました。」

そうした変化の中で手掛ける事になったのが、「カファレル」である。スタートは、山本代表がまだ営業を担当していた23年前に遡る。

「当時うちは卸しかしていませんでしたが、ブランドをやるにあたって旗艦店が欲しいと考えました。しかし、当時の役員に話をしても叱られるんです。“卸屋が小売りをやるのは事業のモラルとしてどうや”と。また母親とも、どっちが会社を辞めるかぐらいの対立がありました。

会社を変えていこうと思うと、どうしても痛みが伴いますね。母や役員にしてみれば、昔からの会社の流れもあるし、新しい事業をやるからといって昔からの付き合いを簡単に切る事もできませんからね。母も苦労したと思いますよ。父が亡くなって、一介の主婦がいきなり社長になった訳ですし、その間には阪神大震災もあって、この自社ビルも半壊状態になりましたから。

100年以上の歴史があれば、事業領域も変わりますし取り扱う商品も変わります。変わらなければ淘汰されてしまいます。自らがリスクを取って変わっていけるかどうか。ダーウィンの進化論と同じで、変化がないと進化はないという事でしょうね。うちが雑貨から食品に代わったのも、そういう流れです。

老舗の貿易商社としての信用と伝統を守りながらも、将来に渡って時代の流れを常にキャッチできる、常に対応できる組織でありたいと思いますね。」

1994年、本社ビル地下1階に「カファレル」1号店をオープンし、現在では神戸北野の本店や東京駅構内に店舗を展開。痛みを伴うその変化によって、業績は飛躍的に成長した。その後はヨーロッパからの食料品を中心とした輸入卸ビジネスにも力を入れ、今日に至っている。

事業を続けられた一番の理由は土地があったから

日本的な発想に囚われず変化を実現してきた山本代表には、事業承継に対しても独自の考えがある。

「会社というのは、大きくなる事ではなく続けていく事に社会的な意義が有ると思っています。事業を維持する事で雇用を維持していく、これが社会に対して一番の存在価値で有る訳で、その為には例え社名が変わっても構わないと思ってますし、子供に必ず事業を継がせる必要も無いと思います。

無理して能力の無い人間に継がせても、みんなが不幸になるだけですから。つまり、それが子供であっても社員であっても、能力が有れば構わないという事です。

一方で、こうして事業が続いてきた一番の理由をドラスティックに言うと、担保となる土地が有ったからです。神戸のメインストリートともいえる京町筋にこれだけの土地があり、そこに自社ビルがある事の信用、担保力はやはり大きい。事業を継続して行く為の担保となるこの土地をどうやって守って行くのかを、これからは考えないといけないですね。

資本と経営を一緒に考えて守って行くのか、資本と経営を分離して守っていくのか、それをこれから考えていかなければいけないと思っています。

事業の展望としては、今後は「カファレル」をアジア各国に紹介していこうと思っています。アジアは日本の流行に対して好意的に受け止めてくれる土壌がありますから、欧米のものを日本なり、当社なりにアレンジしてアジアに提供していくような事が出来ればと思っています。」

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