“暖簾に胡坐をかかない”祖父と父からの教えをもとに創造する 新しい「大阪土産」への意欲

株式会社 あみだ池大黒 代表取締役社長 小林昌平

幼心に父から得た 創業家の長男としての学び

「大阪は土産物に困る」。

 よくそう言われるのだと、あみだ池大黒の7代目、小林昌平社長は自嘲気味に笑う。しかし、その大阪を代表する手土産として長く愛されている菓子としてまず名前が挙がるのが外ならぬあみだ池大黒の「岩おこし」であることは、多くの人が認めるところだろう。

 あみだ池大黒は、1805年の創業。今年で212年という長い歴史を持ち、一貫して「おこし」作りに取り組んできた。一方、近年は時代のニーズや客層の変化に対応した新しい商品の開発にも乗り出しており、おこしに馴染みのなかった若い消費者層にもアピールする商品を多く発売している。

 祖父や父のもとで家業に邁進し、昨年6月に社長に就任。1年余りの経験を得た若き経営トップはどのように事業を学び、受け継ぎ、残していこうとしているのか。そこからは、家族経営、事業継承における大きなヒントとなるような取り組みが見えてくる。

「おこしを作る会社を祖父と父がやっているということは子供の頃からわかっていましたし、親戚からも“7代目”と呼ばれたりしていたので、ああ自分は将来この仕事をやるんだろうなということは、子供心に漠然と思っていました。

 父から学んだこととして覚えているのは、小学生の時、見学に行った浄水場に興味をもって、それを絵に描いて父に見せたことがあるんです。そうしたら父が“儲かるなら大黒でやってもいいね”と言ったんです。その時に、うちはおこし屋さんだけど、ビジネスというものはひとつのことにとらわれずいろいろチャレンジしていいものなんだ、ということを学んだような記憶がありますね。

 もうひとつ、中学・高校ぐらいになると継ぐという意識が明確に芽生えた半面、“無能だったら継がせない”というようなことも言われて、会社は潰れるもの、社長は無能な者には務まらないものであるという学びもありました。」

祖父や父がいる間に 変えるべきところはすべて変えたかった

 大学卒業後、まずはオリックスに入社。金融の世界から社会人としての基礎を学んだあと、29歳であみだ池大黒へ入社した。会長は祖父。社長は父。家族経営の最たる環境の中で、経営のノウハウを身につけた。

「これは社是でもあるのですが、“暖簾に胡坐をかかない”ということを、共に働く中で強く植えつけられましたね。それから、“うちの大黒さんの小槌は怠けてたら頭をたたく小槌やで”と。まじめに働けということですね。

 当然、いずれは社長になるということを前提に入ったわけですが、変えるべきところはすべて変えて、それから社長に就きたいと思っていました。父や祖父がいると、カバーしてくれるところもありましたから、多少過激なことも遠慮なくできる。歴史や伝統に遠慮をせずに改革に取り組むことは、うちのような代々の当主が社長を務めるような会社には必要だと思うんです。社長になってしまうと、言いたくても遠慮したり安定を考えたりする意識が働きますしね。」

 そうした意識と背景のもとで生まれたのが、pon pon Ja pon。伝統のおこしづくりの技に洋風フレーバーを組み合わせ、可愛らしいパッケージで包んだこの新ブランドは、2011年、当時経営企画室長だった小林社長の指揮のもと商品化され、店には行列ができ午後には完売するほどの人気を集めた。現在も髙島屋大阪店とルクアイーレ店、阪神梅田本店に店舗を展開し、好調な売り上げを維持している。

「pon pon Ja ponは自分たち世代の感覚に合うおこしを作ろうという発想でスタートし、立案から2年ほどをかけて発売に至りました。最初は会社の上の人たちが大反対。“こんなものはおこしではない”“おいしくない”とさんざん言われました。でも、その感覚に合わせるのは違うやろと。若い世代が自分たちの感覚で作る。それが大切だと思ったんです。

 でも、祖父はうれしく思ってくれていたようです。祖父が若い頃にも店先におこしを買う人の行列ができたということがあったらしいですが、近年そんなことはなかった。しかし、人生の最後の時期になって自社の店舗にまた行列ができるようになった。実際、祖父が売り場に行って朝からずっと一人一人に頭を下げていたということもありました。孫が作ったものがそれだけの成果を上げたことを、きっと喜んでくれていたのだと思います。」

多くの人々の支えで乗り越えた 第二次世界大戦と阪神淡路大震災

 おこしの原料は、お米と水飴と砂糖。戦中戦後に手に入れることが難しかったものばかりである。地元で愛される老舗とはいえ、あみだ池大黒にも当然、苦難の時期は訪れた。

「材料の調達ももちろんですが、戦争では空襲で工場が全焼、従業員は戦地に行ってしまって、とても生産できる状況ではありませんでした。しかも、私の曾祖父にあたる4代目が戦後すぐに他界して、休業を余儀なくされたんです。私の祖父はその間、丸紅で働きながら家業の再興を目指し、昭和26年に株式会社として再出発を果たしました。阪急の小林一三さんはじめ関西の財界の方々が“岩おこしをなくしてはあかん”ということで資金を援助して下さって乗り越えることができたと聞いています。」

もうひとつのピンチは1995年。阪神淡路大震災である。

「工場の柱が何本か折れたり、機械が横倒しになったりしましたが、一番困ったことは、工場につながる橋が渡れなくなり商品が出荷できない状態になってしまったことです。あみだ池大黒はもうだめだという噂が広まってしまって、風評被害でシェアが落ちそうになりました。そんな時、昔から付き合いのある造船所の方が、ここから船で大阪まで商品を運んだらどうかと声をかけて下さったのです。そうしたいろいろな方のお助けがあって今のあみだ池大黒があるということを、我々は決して忘れてはいけないと思います。」

新しい大阪のお土産を作る意識を 次の世代にも持ち続けてほしい

 激動の時代に会社を再興させた祖父は、昨年95歳で他界。社長だった父が会長になり、専務だった自身が社長になった。

「祖父は会社や家族の道筋をしっかりつけてから亡くなりました。後継者のことはもちろんですし、財産分与のことまでしっかりと準備をして次に渡して、それから亡くなった。だから、亡くなって1年経ちましたれけど、後々大変になることなく仕事に取り組めています。2代目以降は必ず相続が発生して、事業承継が問題になるわけですが、常にそれを意識しておく必要があることを祖父から教わったと思っています。

 私はまだ社長に就任して1年ですが、誰に継がすのか、どういう状態で継がすのかを考えながら進めなければいけない。息子はまだ小さいので誰かを間に挟む必要はあると思っていますが、将来的には息子には継がすべきだと思っています。

 その中で、どういう会社を今後目指すのか。うちは大阪のみなさんに200年育てて頂いた会社なので、これからも大阪に根付いて、大阪の方に喜んでもらえるお菓子作りをしていくのが使命。関西のお菓子というと、どうしても京都や神戸に負けてしまっているので、大阪の方にもう「困る」と言われない、誰もが認める新しい大阪のお土産を作ろうという意識を、私の代だけでなく次の世代も持ち続けられる会社にしていきたいと思っています。」

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