天下に知られた酒どころの8代目が目指す日本にとどまらない戦略。概念にとらわれない経営

中村酒造株式会社
代表取締役社長
中村太郎

「家訓や家業にまつわる教えはほとんどないんです」

加賀の地は、百万石の城下町として栄えるそれ以前、古く室町時代の随筆にもその名が残る由緒ある酒どころである。石川県内には現在でも30を超える酒蔵が残っており、今日に至るまでその伝統と味を受け継いでいる。
兼六園にほど近い金沢の中心部にある金沢市立中村記念美術館は、この地で約150年にわたり酒造りを営む中村酒造の6代目、故・中村栄俊(えいしゅん)氏が自身の所有する美術工芸品を市に寄贈して開設された美術館。敷地の一角には昭和3年に建てられた旧中村邸が移築されており、その重厚な造りからは、造り酒屋としての中村家の格式の高さが感じられる。
その中村酒造は近年、日本だけでなくアメリカ、カナダ、ヨーロッパの有機認証を取得した酒蔵として新たな注目を集めている。陣頭指揮を執るのは、8代目の当主となる現社長の中村太郎氏。既成の経営の概念や酒蔵としての定石を超えたさまざまなアイディアで、家業を安定的な成長に導いている。

「うちは酒蔵としては5代、それ以前には紙商などを営んでいたといいますが、家訓や家業にまつわる教えというのはほとんどないんです。私が物心がついた頃には住まいと仕事場が離れていましたので、当時どのように仕事をしていたのかもわかりませんが、通っていた幼稚園が会社の近くにあったので、親父や祖父が出勤する時に一緒に車に乗せてもらい、帰りも家ではなくて会社に帰って、仕事が終わるまでそこで過ごしていた記憶はありますね。でも、小学生になってからは蔵で過ごす時間もなくなって、夏休みにお袋が奈良漬けを漬ける手伝いで蔵に行ったという程度の記憶しかないんです。」

大手広告代理店の営業から酒蔵の商品戦略の世界へ

 その後、京都の大学に進学し、卒業後は大手広告代理店に就職。酒造りとは無縁の人生を送っていたが、4年ほどの会社勤めの後、1992年に金沢へ戻ることとなる。

「学生時代には家業を継ぐ具体的なイメージもなく、普通に就職しようと思ってました。就職先では営業をやっていましたが、当時はバブルの真っただ中。今では考えられないほど広告がよく入りました。
家業へ戻るきっかけは、戦中から続いていた酒の級別制度の廃止でした。新しい時代に向けた商品のラインナップを考えてほしい、商品戦略の中心になってほしいというのが、父の願いだったのです。」

 しかし、金沢に戻ってもなお、父・栄一郎氏からは経営や家業についての具体的な言葉はなかったという。

「商品企画というテーマである程度の道筋を立ててからは、専務として事業全般に関わっていました。会議や重要な場面での父の立ち振る舞いや対処は見て学ぶこともありましたが、あとは自分で考えろということだったんでしょうね。戻って6年、34歳の時に社長を継ぎましたが、突然のことで驚く私を、父は“うちは早出の早上がりだから”と言って納得させました。今思えば、早くからその座に就かせることが、うちなりの社長の育成方法なのかもしれません。」

北陸新幹線開通の絶好の商機にあえて会社をコンパクト化

 2015年、北陸新幹線の長野-金沢間の開通は、観光都市・金沢に大きな注目を集めることになった。悲願の新幹線開通は一大商機ともなりうるもの。ほとんどの経営者は、千載一遇のチャンスと捉え業績の拡大に期待を込めるに違いない。しかしこの時、中村社長はまるで逆の事業戦略を取っている。

「新幹線が来る前に会社を小さくしようと考えました。大きく目立たなくても小じっかりと利益を出し続ける、そういう会社が本当にいい会社なのだろうと。それに向けて体質改善をするにはこの時期しかないと感じて、思いきり小さくしたんです。利益率の悪いアイテムは製造をやめ、会社の土地は一部売却しました。それによって「中村さんのところは経営が大変なんじゃないか」と言われるのではないかとも心配もしました。しかし、コンパクトになった分、会社の足腰もしっかりしたと感じています。
根底にあったのは、長い目で経営を見たいという意識です。景気や業績は循環するものであり、そのトップとボトムをどう回していくかというのが日本型の経営だと思います。それはつまり、いい時も悪い時もすべてを事業として受け止めるということ。それができているからこそ、日本には長く残っている会社が多いんでしょうね。」

息子が年齢と経験を重ねてからでも事業承継は遅くない

 全国に約1,500ある酒蔵のうち1%にも満たないという有機認証蔵として地元の米や水にこだわった酒造りを手掛ける一方、ローマ法王に献上された「客人(まれびと)」、フレンチの世界的シェフ、アラン・デュカス氏とコラボレーションした純米酒など、従来の日本酒の概念にとらわれない挑戦も続ける中村社長。最後に、事業承継に対する自身の想いを、こう語ってくれた。

「田舎の酒蔵ですし、家業に近いような仕事なので、やはり子供に継いでもらうのがいいと思っています。ただ、いま長男は自分で就職先を見つけて東京でコンピューター関連の仕事をしていますので、そこで年齢と経験を重ねてからでも遅くはないだろうと思います。私の場合は最初の4年で辞めてしまい、よそで経験を積むことができませんでしたから。しっかり働いて、自分の下の社員が入ってきて、管理職としてある程度部下と接する。そうした経験は、経営者となった時に必ず生きてくると思います。」

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