パナソニックが百年企業入り。「経営の神様」松下幸之助の言葉に学ぶ

(写真=martinwilliams/Shutterstock.com)

2018年3月、日本を代表する企業として、世界の電機業界をリードしてきたパナソニック・グループが創業百周年を迎えて「長寿企業」の仲間入りをする。

パナソニックを一代で興したのは、「経営の神様」として知られる松下幸之助だ。今回は、松下幸之助の足跡や言葉から、経営の極意を学ぼう。

幼い頃から商才を表す

企業経営を志す日本人なら、多少なりとも松下幸之助の自伝や名言集などにふれ、その足跡を学んだことがあるかもしれない。ここでは簡単に、彼の生い立ちを振り返ってみよう。

松下幸之助は、1894年、和歌山県に生まれた。9歳で尋常小学校を中退し、火鉢屋や自転車屋に奉公に出される。

奉公時代のエピソードにも、松下の商才がうかがえるものがある。自転車屋時代、松下は主人に命じられて、たびたびたばこを買いにいかされた。そこで幼い彼は、「まとめ買いをしておけば、たばこが安く手に入る上、いちいち買いにいかずともすぐに差し出すことができる」と気づく。そうして、松下はたばこのまとめ買いでコツコツと小遣いを貯めていった。しかし、他の丁稚仲間から反感を買い、主人からもやめるように諭されたため、まとめ買いするのはやめた。ここで彼は、商売の基本として「一人勝ちはよくない」と気づいたという。

自転車店での奉公の後、松下は大阪電灯(現関西電力)に入社。在職中に、安全・簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを考案し、23歳のときに松下電気器具製作所(昭和10年に松下電器産業に改称)を創業する。

松下は一代でパナソニックを大企業に育てる一方で、PHP研究所や松下政経塾を設立し、後進の育成にも注力。1989年に94歳で没した。

「経営の神様」松下幸之助が残した至言

では、「経営の神様」松下幸之助が残した至言を見ていこう。

・ 商売とは、感動を与えることである。

会社経営を続けて長年が経ち、組織も大きくなってくると、何のために事業を興そうとしたのかあいまいになってくるかもしれない。また、毎日の資金繰りに追われ、従業員や家族の生活を守るのに必死、という経営者も多いだろう。そういう人こそ、松下のこの言葉を思い出してほしい。

事業を興そうと決心したとき、「自らのアイデアで世の中を便利にしたい」、「人々を驚かせたい」など、そんなシンプルな志が自らを動かしたのではなかったか。

また、商売は利己的になりすぎてもうまくいかないものだ。製品やサービスを買ってくれる顧客や消費者があってこそ、ビジネスは成り立つのだ。この言葉は、「顧客の存在を忘れるな」という戒めにもなるだろう。

・ 不況またよし。不況は改善、発展への好機である。

景気の悪い年はものを考えさせられる年。だから、心の革新が行われ、将来の発展の基礎になる。

松下幸之助は、パナソニックグループを育てる上で、「昭和恐慌」をはじめとした幾度とない不況に直面したが、そのたびに事業を拡大させることに成功した。

商売が順調なときは、改革・改善をしにくいものだ。しかし、いったん不況となり、経営に困難さが増すと、順調なときには気にならなかったさまざまな課題が目の前に立ちふさがってくる。また、社員のあいだにも危機感が募り、全社一体となった改革が進めやすくなる。

ビジネスがうまく行かないとき、ついつい景気など外部環境のせいにしてしまいがちだが、不況時こそ自らのビジネスを見直す機会だろう。

・ 「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。

これは、経営者だけでなくあらゆる場面でのリーダーが肝に銘じるべきだろう。リーダーがリーダーたる資質とは何か。好調のときに、自ら音頭をとって人々を鼓舞することはたやすい。しかし、何か問題が発生したときに、それが自らの責任であると恐れることなく言い切れてこそ、人々はリーダーを信頼し、もり立てようとするのだ。

イベントスケジュール