第八回金沢開催レポート

平成29年12月11日(月)第8回目の開催となる「THE EXPO~百年の計~ in 金沢」が石川県金沢市のホテル日航金沢にて開催されました。

「THE EXPO~百年の計~」は、これまで長寿企業が培ってきた歴史と経験の中から、100年企業が独自に持つ"哲学" "歴史観" "文化"を学び、「正しい判断基準=企業の姿勢」と向き合う機会を提供するイベントです。"事業継続性"をテーマとしたパネルディスカッションをメインプログラムに、地域活性化のため、優良企業間のコミュニケーションの場を提供するための懇親会も開催しています。

プログラム

第1部:後藤俊夫氏「(一社)100年経営研究機構 代表理事」による基調講演
第2部:100年企業によるパネルディスカッション
第3部:交流会

基調講演

日本経済を支える自覚と誇りのもとファミリービジネス発展に邁進してほしい


一般社団法人100年経営研究機構 代表理事 後藤俊夫 氏

私は1999年以来、日本における長寿企業の研究を重ね、創業以来100年以上続く企業の数を2014年の時点で国内に25,321社見つけました。そのあとも毎年1,000社から3,000社ずつ増えておりますので、今ではおよそ30,000社の100年企業が存在していることになります。さらに、そのうち創業以来1,000年以上続く会社は21社。このような多数の長寿企業が存在するのは、世界広しといえど日本を措いて他にはありません。ご当地石川県でも粟津温泉の法師旅館さんが西暦718年の創業で、来年ちょうど1,300周年。最も古くから続くホテルとしてギネスブックにも登録されています。その他、石川県内には創業以来100年以上続く企業が2014年現在で555社。そのうちの約7割、341社が金沢市に集中しています。

世界から注目を集める日本の事業承継と公益思想

さて、最近日本には海外からのお客様がたいへん多くいらっしゃいますが、とりわけ私の周りでは、日本の長寿企業について学びたいというお客様が世界各地からひっきりなしにいらしています。特に中国からのお客様は非常に多く、また私が中国へ行ってお話をする機会も多くございます。この11月末には1週間で2度も中国を訪ねまして、なぜ日本には長寿企業がたくさんあるのか、なぜ多数の企業が何代も事業承継を実現できたのか、というテーマで講演をさせて頂き、その様子は現地の新聞でも報道されました。

では、なぜ中国で長寿企業が注目されているのでしょうか。その背景には、商工業に対する国家レベルでの取り組みがあります。2016年3月5日、中国政府のNo.2、李克強首相が演説において、工匠精神に基づく品質とブランドの確立を国家として指示しました。工匠精神というのは、日本で言うところの職人精神です。次に同じ2016年の末、中央経済工作会議という極めて重要な会議におきまして、習近平国家主席が、製造業などの事業を強化するために工匠精神を振興し、それにより良いブランドを生み出し、いずれは100年続く企業を作っていこうと語りました。こうした動きの中で私に対しても中国から講演の要請が増え、また中国から日本への経営者、後継者の見学が増えているわけです。

中国に学び日本で昇華した長寿経営

そもそも日本には、長寿企業が成立しやすい社会、制度、歴史、文化があったのだと私は考えています。例えば柔道、茶道、華道のような「道」を求める心、それは単に技術を極めるのではなくて、心を極める道だと思います。つまり商売に置き換えれば、それはお客様に奉仕しようということであり、そうした思想が長寿企業の根底にある、というのが最近の私の結論でございます。

日本には、約1,500年前に中国を経て仏教がやってきました。儒教も伝わりました。それらを我々の先祖は懸命に勉強し、日本古来の神道と結び付けて日本固有の精神を作ったわけです。その精神が長寿企業を支えている、職人精神を支えていると私は思うのです。ですから私は中国のみなさんに、「日本は長寿企業の極意を中国から学んだのです。1,500年間学び、実践し、日本に合うようにカスタマイズした。それが日本の長寿経営なのです」と、よく申し上げています。

義の心がファミリービジネスのピンチを救う

2008年8月、日本経済新聞に「ファミリービジネスこそ経営の主流」という私の記事が掲載されました。日本の企業のうち96.9%がファミリービジネスであり、ファミリービジネスで働く人の数は日本で働くすべての人の77%。つまりファミリービジネスは経済の主役なのだということを語った記事です。さらに、上場企業の53.1%はファミリービジネスだと判明しました。

しかしながら最近の日本では、事業承継が大変困難な状況を迎えています。経営者の高齢化、深刻化する後継者問題などがその要因ですが、それで何度も事業承継を重ね、100年以上続いてきた企業が日本には約30,000社もある。そのうち1,000年以上続く企業が21社もある。世界最古の企業10社のうちなんと9社が日本にある。そういう国でみなさんはファミリービジネスに取り組まれているわけで、非常に意義深いことだと私は思います。

だからこそみなさんには、日本の経済を支えているのだという強い自覚、自信、そして誇りをお持ち頂きたいのです。ファミリービジネスにはたくさんの強みがあります。責任を持った経営、迅速な意思決定など、特徴を生かした経営をぜひ続けて頂きたい。そして、社会に評価される存在になって頂きたいのです。私利私欲だけではいくら儲かっても誰にも尊敬されないし、ピンチになってもだれも助けてくれない。しかしながら、社会に奉仕する心を持ち、義の精神で仕事に取り組めば、良い時には高い評判を頂け、ピンチの時には周りが助けてくれるはずです。ファミリービジネスの経営者、後継者のみなさんには、そういった心の中で日本が長寿企業大国になったことを忘れずに頑張ってほしいというエールを送って、私の基調講演とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。

 

後藤俊夫氏の基調講演に先立ち、百年の計実行委員会委員長 赤池 学氏より、開会のご挨拶がございました。


ユニバーサルデザイン総合研究所所長
科学技術ジャーナリスト
百年の計実行委員会
実行委員長 赤池 学 氏

 

パネルディスカッション

百年を超える長寿企業に学ぶ事業継続性の極意


パネリスト

株式会社木地リード(創業1914年)
代表取締役社長 木地治三郎 氏

直源醤油株式会社(創業1825年)
代表取締役社長 直江潤一郎 氏

中村酒造株式会社(文政年間創業)
代表取締役社長 中村太郎 氏
ファシリテーター

横田アソシエイツ 代表取締役
慶応義塾大学大学院
政策・メディア研究科特任教授
横田 浩一 氏

 

長寿企業・100年のストーリー

THE EXPO 百年の計 in 金沢。そのパネルディスカッションには、石川県を代表する3つの100年企業のトップが登壇した。1914年創業、株式会社木地リードの木地治三郎氏、1825年創業、直源醤油株式会社の直江潤一郎社長、文政年間創業、中村酒造株式会社の中村太郎氏の3氏。ファシリテーター・横田浩一氏(横田アソシエイツ代表取締役/慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任教授)の進行のもと、それぞれの経験や経営哲学、企業精神に基づいた興味深い話を語ってくれた。

横田今日はよろしくお願いいたします。まずは、それぞれの会社の事業モデルについて教えて下さい。

木地弊社はもともと「筬(おさ)」を作っていた会社です。「つるの恩返し」でいう「トントン」という部品です。その昔、北陸は一大繊維産地として隆盛を誇っていまして、私の先代が1960年に事業を継いだ頃には同業の会社がこの地域には数十社あったそうです。その後、繊維産業の主流が海外に移り、国内の繊維製品により高い品質が要求されるようになったことで同業者が淘汰される中で、何とか生き残って参りました。現在は、海外の同業メーカーへの部品の販売、また技術を提供することを主な事業としています。全体の60~65%を海外での売り上げが占めています。

直江 弊社はかつては醤油屋兼廻船問屋として長く兼業をしていたと聞いております。北前船で北海道から樺太まで醤油や塩を運び、その地で仕入れた大豆や麦や海産物を各港で売りながら戻ってくるわけですが、廻船業を営んでいたことが、地元はもとより広域で販路を拡大できた大きな理由だったのではないかと思います。現在では、地元の問屋さんやお得意様へ醤油を卸すと同時に、ポン酢やドレッシングなど新しい商品も開発し、地元のスーパーさんや小売店さんにおいても多くお買い求め頂いています。

中村我々酒造りの業界では、「日清・日露戦争は酒税で戦費を賄った」という話があります。当時、国税の3分の1以上は酒税が負担をしていましたので、酒造業界というのはある意味、国による庇護がしっかりあった業界でもありました。その中で、私どもの会社の転機としては、戦中に軍用酒の扱いをさせて頂いたことが挙げられます。軍用酒を作るということは原料となるコメも融通してもらえますし、売れることが保証される環境で酒造りができた。これが大きく飛躍する機会になったようです。

戦後は、全国で2番目の早さで四季醸造蔵、つまり冷房を完備して年間通してお酒が作れる蔵を作りました。それによって品質も上がり、長い期間お酒が作れるようになり、製造能力が上がりました。さらに、昭和30~50年代、テレビのコマーシャルの多くをお酒が占めていた時代には業界全体の数字も伸び、この時代に今の当社の基礎が築かれました。

守ってきたもの。革新したもの。

木地治三郎 氏

横田創業以来継続してきたこと、守られてきたことがそれぞれにあると思います。また新しくチャレンジされていることもあれば教えて下さい。

木地私は4代目として治三郎という名前を襲名していますが、実は養子なんです。家のことも繊維業界もまったくわからない中で会社に入り、先代が亡くなってから襲名をしました。ですから創業以来の話もあまり聞いてはいませんが、襲名にあたっては感慨深いものがありました。金融機関の方、従業員、その他取引先の方々に対して新しい経営の世代として所信表明をするわけですが、「名前を変えました」というだけで説明がつくんです。これは素晴らしい日本の知恵だなあと思った記憶がございます。

直江醤油というのは味の黒子役であり、食材を活かす脇役です。お醤油ひとつで家庭の味、お店の味が決まるわけですから、いつもの味を当たり前にお届けするということを創業以来続けてきたのだと思います。

子供の頃からよく言われたのは、贅沢をするなということですね。半切れ(寿司桶)でご飯を食べんでいい、茶わん一杯だけ食べれればいい、目立ったことをせずに、しっかりと脇役としての役目を果たしなさいということですね。 チャレンジということでは、先ほども申しましたポン酢やドレッシングなど時代に合わせた商品の開発がございます。昔はソースは敵だと思っておりましたが今はソースも作っておりまして、時代は変わったなと思っております(笑)。

直江潤一郎 氏

中村うちは、守っているものとか伝わっているものとか、そういうものがない家なんです。ただ、裏を返せば、決まりごとや「こうしなくてはいけない」ということにこだわらない家風なのかなと思っております。 最近では、もう一度原点に返った酒造りに取り組んでいます。酒造会社というのはほとんどが農家の発展型の1.5次産業として生まれたはずですので、やっぱり地元の米を大事にして、地元の料理に合った酒造りにもう一回真剣に取り組みたいのです。その地域の気候風土で育ったコメがその地域の酒蔵で醸されたものが本当の意味での地酒でしょうから、できるだけ地元の農家さんと組み、農家さんの顔が見える酒造りをしたいと思っています。

経営の危機から得た教訓

横田創業以来、さまざまな逆境や苦難があったかと思います。それをどのように乗り越えたか、またそこからどのような教訓を得たのかを教えて頂きたいと思います。

木地これは先代と一緒に経験したことですが、リーマンショックの前の時期に、今までの金属と違うものを作ってみようということで非常に大きな設備投資をしました。まったく知見がないのに「できるだろう」ということでやってしまった。当然やったことがないことなのでなかなかうまくいかず、そうしているうちにリーマンショックが起きて市場が落ち込み、業績が悪化し金融機関からの手助けも減り、それが心労になったのか、先代は創業100周年を待たずに99年で亡くなりました。ある方からご紹介頂いた別の金融機関にバックアップをして頂いて、なんとか100周年を乗り切ることができましたが、先ほどの後藤先生の話にあった「身の丈経営」を外れた時代かなと思います。新しい投資にはより緻密な計算が必要であるという教訓を得ました。

直江うちで特に伝えられているのは昭和の初めの頃のこと、曽祖父が東京に向けて貨車7台に積んで出荷した醤油の代金がまったく回収できなかったことがあったそうです。曽祖父は東京に出向いてまで回収にまわったそうですが、「そんなところに出す方が悪い」と。そして、その風評で「直源はもうだめだ」という噂が立ち、材料屋さんが売り惜しみをしてきたと聞いています。それを助けてくれたのは高岡市の岡野商店さん、今の日本海酒販さんだそうです。いわしの醤油漬けやみりん干しなどをたくさん売り込みに行って頂いたそうです。

それから、これは大野醤油全体としての話ですが、嘉永年間、ペリーが来航したころですが、その頃、大野には醤油屋が60軒ほどあったそうです。しかし、その30年後には10軒ばかりに減ってしまった。当時の大野醤油は、いわゆる粗悪品を出していたようで、他の産地にずいぶん取って代わられたようです。私は、大野醤油というのは九谷焼や輪島塗と同じように地域にとって大事なブランドだと考えています。もちろん自社としてのブランドも大事ではありますが、その背景にある大野という醤油の産地も非常に大事であり、まずは産地、土台を万全にすることが不可欠だと思っています。そのため現在、醤油づくりの前半行程を協業化することで大野醤油全体で品質を維持し、後半の行程で各社差別化しながら、それぞれの販路で販売をしています。

中村日本酒業界は、結論から言うとまだ厳しい時代から完全に抜けきってはいないと思います。売上のピークは昭和50年~60年頃になりますが、生産性が上がったことで供給過多になり、価格を下げ、結果、自分たちの商品価値を自分たちで落とすような時代が続いたことが大きな要因だと考えています。

そこからの教訓としては、やはり原点に返ってお客様ひとりひとりにおいしいと言って頂けるような商品づくりをすることに尽きる、それを愚直にやっていくということが唯一の解決方法なのかなと思っています。

人材育成における取り組み

中村太郎 氏

横田人材育成についてもお聞きしたいと思います。人が取れない、育たないという話を会社の規模を問わず聞きますが、採用も含めて人材育成についてどのようにされているか、お聞かせください。

木地実際、非常に困っています。私の子供はまだ高校生なんですけど、うちは非常に子供の友人が来やすい家なんです。実際私も、女房の家に遊びに行っていたら先代に目をつけられ、「仕事があるから学校を出たらおいで」と言われて、その言葉に乗せられて入社したんです。ですから私も今、遊びに来た息子の友人達に早いうちから目をつけて、「うちにおいでよ」っていうことを言ってみたりしています(笑)。

直江弊社は商品の特性上、女性に買って頂くことが非常に多いので、女性の活躍推進をひとつの大きなテーマとして、働き甲斐のある職場づくりを心がけています。販売している商品も、「かわいい」とか「ちょっと」とか、そういうキーワードが受ける時代ですので、女性の目線でパッケージも含めた使いやすさを考えて商品開発をしています。

中村うちは事業としては採算性の低い商品の製造をやめるなどのリストラをしましたけれど、人のリストラはあまりしておりませんで、年配の社員が今も多く残っています。昔から世話になっている仲間を大切しようと思う反面、活性化のためには変えていかないといけないという思いもあります。業界で言えば、酒造りの責任者である杜氏(とうじ)がどんどん高齢化してきていますので、製造体制の若返りや、社員による製造体制の構築というのが、業界全体に待ったなしのところまで来ていると感じています。

事業承継に向けた想い

横田次は事業承継について、どうお考えでしょうか。

木地先代は私が高校生の時からすでにシナリオを描いていたわけですから、やはり私もそろそろシナリオを描かなければいけないと思っています。

ひとつ、これは先代が作った関係性ですが、台湾の企業の一族と3代50年、スペインの技術提携会社とは3代30年、インドネシアの会社とは2代25年、それぞれ親戚以上、家族並みのおつき合いをしている会社があります。それぞれに年代がギアのように微妙にずれていまして、台湾の創業者の方はうちの先代の先生、その息子さんは先代の弟子、その弟子が私の先生というように代々繋がっています。そういう関係性を息子にも継がせたいとは思っています。

直江私は子供の頃に祖父から「勉強せんでいいぞ」と常に言われていました。あんまり勉強ができるようになって違う道に行かれると困ると思っていたようです。親子では考え方の違いがあったり、その違いを埋めるのも難しいとは思いますが、じいちゃんと孫という関係でそういう経験ができたことはとてもいい経験だったと思います。

私は社長になってまだ4年ですが、高校生の息子がおりまして、どういうふうにバトンを渡そうかということはよく考えます。今や醤油は世界の調味料として知られていますから、醤油屋を継ぐというよりも、よりグローバルな視点と個性で商売を継いでほしいなと思っています。

中村私は35歳で社長になりました。親父に社長になれと言われた時に「なんでこんなに早く社長にならないかんのか」と聞いたら「うちは早出の早上がりやから」と言われまして、それでいけば私も早上がりしないといけませんから、そろそろ次のことを考えないといけませんが、まだはっきりとしたビジョンはありません。

ファミリーということも大切ですが、当然能力も大切ですので、そこも含めて考えなければいけません。しかし、うちのように決まりごとのない家でも、たぶん私にしかわからないような決まりがそこにはあって、それはDNAレベルのような話になってくることでもあるかと。そういう意味では、やはり子供が継いでくれるのが一番いいんだろうなとは思っています。」

これからの100年、200年に向けて

横田では最後、経営戦略についてです。これから地方の人口が減っていくと言われる中で、超長期の戦略についてどんなことをお考え、ビジョンをお持ちか、教えて頂けますでしょうか。

木地基本的に、日本のお客様からの要求は高まりに対応できるように、開発の拠点は必ず日本に置くことと、その技術を特許など出すことなくブラックボックス化していくことが大切だと思っています。それから、これはドイツの古い企業の経営者から聞いた話なのですが、長く続けてこられた理由のひとつは、株を事業に携わる人以外には継承しないことだと。これは当社にも必要なことだと思っています。一言で言えば、一子相伝ということになるかと思います。

直江人口減は大変な問題でして、胃袋の数が減って、かつ高齢化も進みますので、非常に危機感を持っています。その中で思うことは、大手の醤油メーカーさんのように大きくたくさん作るのではなく、この地域にあったものを的確に、一本一本、おひとりおひとりに対してきめの細かく大切に作ることが大切だということです。2025年で創業200年、2125年には創業300年。そういった時に今まで以上に存在感のある会社でいられるように、ということを常に考えながらやっております。

中村我々のような会社がいい会社であるには、小さくても利益を生み出し続ける個性的なオリジナルの商品を持つことが必要だと思っています。そのためには、コンパクトで強い足腰のある形を作らなくてはいけないと思います。それと、長いスパンで経営を見ること。以前、やはり老舗企業を研究されている方から、景気がいい時ではなく景気が悪い時にこそ投資をすることが長期経営の秘訣だと話を聞いたことがありますが、そうした考えを持って経営をすることが大事だと思っています。

横田今日はお三方のお話を聞いていて、非常にプラズマティズムというものを感じました。むだなことをやっていないですよね。そういった中で、やっぱり堅実なことをやられている中で、企業とは何か、ということをすごく考えさせられるお話でした。そしてやはり、継続性を一番に考えておられる。そうすると、自然とプラズマティズムにつながるのかなと思います。ビジネス仕方として非常に参考になる、興味深いお話だったと思います。あらためて、お三方に大きな拍手をお願いいたします。

 

イベントスケジュール