できないと思ったらすべて終わり。できると思ったらいつでもできる。老舗味噌蔵を支える独自の企業経営理論とは。

株式会社まるや八丁味噌
代表取締役社長
浅井 信太郎

経営にもお金にもまるで興味がなかった青年時代

徳川家康ゆかりの城下町、愛知県岡崎市。街を見下ろす岡崎城の天守閣から西に八丁(870m)の位置に、数百年の歴史を誇る味噌蔵が2軒並んで建っている。この2軒が作る味噌は八丁味噌と呼ばれ、その品質の高さから江戸時代以降全国にその名を知られるようになった。名前の由来はもちろん、岡崎城からの距離に由来している。
その2軒のうちのひとつ、まるや八丁味噌は延元2(1337)年の創業。今年で681年目を迎えた国内屈指の老舗企業である。とりわけ近代以降、その事業の道のりは決して平坦ではなかったようだが、近年は有機食品としての特色を積極的に国内外に打ち出し、ブランド力を存分に活かして成長を続けている。

「創業家である大田家の直系は、実は昭和5年で途絶えています。当時は経営も困窮していたようで、親族が集まってこの味噌蔵をなんとか立て直そうということになった。私はその親族の側の人間で、本筋ではありません。」

そう語る現社長・浅井信太郎氏は、会社を牽引して今年で15年。しかし、青年時代には親族が関わるこの事業にまったく関心が持てず、あまりに自由奔放だったと自らを振り返る。

「生まれた時から社長になることを決められていたわけではありませんし、経営にもお金にも関心がなく、まるでヒッピーのような人生を送っていました。海外のことを知りたい、見てみたいということで、学校を出て就職した会社を2年で辞めてドイツへ。もう永住するつもりでね。両親にも、学校を出してもらっただけで充分だと、今生の別れのつもりで旅立ちました。今思うと漫画のようですけど、50年近く前にそういう決断をし、実行したということは、自分自身でもすごいなと思います。
でも実は、向こうに着いた最初の日には涙しましたよ。えらいことをしてしまったなと思って。」

「チャレンジしようという思いは誰よりも強かった」

しかし、この決心とその後のドイツでの生活が、経営者としての浅井社長の感性と信念を育むことになる。

「人には徹底的に優しくする一方、納得するふりをしない。妥協しない。そういう気質がドイツ人にはあって、そうした気質に触れたことが、今の私にとって非常に役に立っています。もちろん、会社を経営していく中では妥協をせざるを得ないところもありますが、言動と行動の一致ということは今も常に考えています。」

結局、ドイツでは都合4年ほど生活。1981年にまるや八丁味噌に入社すると、海外生活で培ったリベラルな発想で、八丁味噌の伝統を未来へつなぐ様々な試みをスタートさせた。そのひとつが、アメリカの有機食品認定機関、OCIAの認証取得である。

「1980年代、食品の安全を確保するために栽培・加工・製造・流通経路を明確化する“トレーサビリティー”の必要性が海外ではすでに叫ばれており、有機認証は必ず必要になると考えていました。しかし、当時の日本では有機など誰も認識していなかった。当然、風当たりは強くて、なかなか協力も得られませんでしたが、できないと思ったらすべて終わり、できると思ったらなんでもできる。そう思って取り組んでいました。チャレンジしようという思いは誰より強かったですね。
そうしたチャレンジにおいて私の支えになったのは、やはり八丁味噌の崇高さ。伝統的な製法をそのまま受け継ぎ手間暇をかけて作られるこの味噌は、まさに作品です。我々がやらなければいけないのは、この作品の崇高さを先々まで伝えることであり、そのためには有機認証は絶対に必要でした。」

こうした先進的な取り組みはやがて八丁味噌としてのブランディングの向上につながり、お客様からの認知と信頼の蓄積も向上。その後、2004年に社長に就任した。

「先代の社長は、“蔵男”、いわゆる番頭さんをうちで代々やっていた家系の方でしたが、その方が病気をされたことが社長就任を決意するきっかけでした。当然社長になれば責任も格段に増しますが、もっとこの事業に関わりたいという意欲が勝ったんですね。
もちろん、だからと言って大きな変化はないですよ。今まで守ってきた作り方を受け継ぐことが大前提。その上で、さらに多くの方に知って頂くための努力をしました。いくら良いものを作っていても、ポケットに入れたままでは誰にもわからない。作っている人の想いを伝える努力が少し欠けていたかもしれないと思い、社長としてそれをやってきたわけです。

しかし、そもそも私は社長という“役割”をやっているに過ぎないと思っています。木樽に石を積む責任者は石を積む社長、製造行程を管理している人は製造行程の社長という意識です。それぞれの人達がそれぞれに努力をして、それによって正しく頂戴したお金を社員みんなに正しく分配して、社員にはそのお金で正しい生活をしてもらいたいのです。自分にとって正しくないお金を頂いても、そういうお金はそういう役割しかしませんからね。」

私と同じことをする必要はまったくない。

社長に就任して来年で16年。常に業界に新しい風を吹かせてきた浅井社長は、事業承継をどのように考えているのだろうか。

「友達がもう仕事をしていた時代に私はまだ遊んでいたので、同世代のみんなより社会生活が少ないんですね。だからもう少しこの仕事を続けたいなと思っていますが、事業承継にあたっては、誰々でなくてはいけないということは考えていません。本来のレベルを落とすようなことがあっては先祖に失礼ですから、マーケットをあまり広げず本質を求める人たちに寄り添っていてほしいということ。一度雇った従業員は長く居ていただくこと、従業員の給料は随時上げてあげること。私が次世代に望むのはそれぐらいです。あとは彼らなりに経営をしていけばいい。私の時代を評価してくれるならそれはありがたいですが、私自身、社長になってからもたくさん失敗をしてきましたから、私と同じことをやる必要はまったくないと思っています。」

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