第九回名古屋開催レポート

平成30年6月11日(月)第9回目の開催となる「THE EXPO~百年の計~ in 名古屋」が愛知県名古屋市の名古屋観光ホテルにて開催されました。

「THE EXPO~百年の計~」は、これまで長寿企業が培ってきた歴史と経験の中から、100年企業が独自に持つ"哲学" "歴史観" "文化"を学び、「正しい判断基準=企業の姿勢」と向き合う機会を提供するイベントです。"事業継続性"をテーマとしたパネルディスカッションをメインプログラムに、地域活性化のため、優良企業間のコミュニケーションの場を提供するための懇親会も開催しています。

プログラム

第1部:後藤俊夫氏「(一社)100年経営研究機構 代表理事」による基調講演
第2部:100年企業によるパネルディスカッション
第3部:交流会

基調講演

ファミリービジネスこそ経済の主役である。そのことに大きな誇りをもって欲しい


日本経済大学大学院 特任教授
一般社団法人100年経営研究機構 代表理事 後藤俊夫 氏

世界的に類を見ない「長寿企業大国」日本

私が長寿企業の研究を始めてから約2 0 年が経ちますが、ファミリービジネスと長寿企業には非常に深い関係があり、日本における長寿企業はほとんどがファミリービジネスであることを、私はその研究の中で明らかにして参りました。

2014年現在、100年以上続く企業は日本に25,321社あり、現在はもっと増えているわけですが、その中で200年以上続く企業は3,937社。そして1000年以上続く企業は21社もあります。この中で最も長い歴史を持つのは、大阪にある株式会社金剛組です。創業は西暦578年。世界で最も古い企業としてギネスブックに認定されています。

また、世界の長寿企業10 傑のうち、なんと9 社までが日本の企業であることも忘れてはなりません。つまり、日本は世界的にも類を見ない「長寿企業大国」なのです。

さらに、中小規模だけでなく大企業においても長寿企業の比重は高く、上場企業のうちおよそ18%が100年以上の歴史を誇っています。先ほども申しましたように、日本における長寿企業のほとんどはファミリービジネスでありますから、ファミリービジネスは、文字通り経済の主役と言っていい存在であることを、まずは申し上げておきたいと思います。

さて、今日せっかく名古屋でお話をさせて頂くので、世界初の発表をさせて頂こうと思います。

聖徳太子が百済から4人の宮大工を日本へ招聘しました。そのうちのひとつが先ほど話した金剛組であるわけですが、この時、中村姓(を賜った)宮大工も日本に渡っておりまして、現在愛知県一宮市にございます株式会社中村社寺のルーツがその中村家である可能性が見えて参りました。これが証明できれば金剛組と並ぶ世界最古タイの企業となるわけです。そういう企業がここ愛知県にあるのだということを、今日お越しの皆様にもぜひお心にお留め置きいただければうれしいなと思っております。

長寿経営の根底にある「利他の心」

では、なぜ日本は長寿企業大国なのでしょうか。また、どうすれば長寿経営が実現できるのでしょうか。

それを解く上で、私はいつも6つの定石を申し上げております。第一は、長期的な経営に立つこと。事業を受け継ぎ、軌道に乗せ、承継への準備をする、そのそれぞれを10年単位で考えるということです。第二に、身の丈経営。第三に、自社の強みを徹底的に生かすこと。第四は、企業を取り巻く事業関係者を長期的に大切にすること。ここには、従業員、お客様、取引先はもちろん、地域社会も含まれます。そして第五には、リスク管理。そして最後は、事業承継への強い決意と工夫です。

この6つの定石を支える思想は、日本ならではの「社会の公器」志向、言い換えれば「利他の心」です。これが、長寿経営を成し遂げる上で一番重要だと考えています。2011年3月11日の東日本大震災のあと、私は東北に入り、地元の長寿企業がこの利他の心で地域に貢献する姿を目の当たりにし、その思いを再認識しました。

長く続けるために必要なのは、家族を大事にすること

近年、事業承継問題は非常に切実です。その裏側にはいろいろな要素がありますが、ひとつには経営者の高齢化が挙げられます。私は研究の中で、ファミリービジネスの経営責任者の平均年齢を10 年刻みで観察しました。すると、1964年、今から54年前の日本の社長の平均年齢は36.9歳、かなり若かった事実が判明しました。しかし、時間が経つにつれてその年齢はどんどん上がり、今では60歳を超えています。その背景に、若い人たちがあまりバトンタッチを望まないという風潮があることは確かです。

冒頭、長寿企業の多くはファミリービジネスだと私は申し上げました。だとするならば、長く続けるためのカギは、まず家族を大事にすることです。家族間、世代間におけるコミュニケーションを大切にし、先代が、そして先々代がどれだけ苦労してビジネスを続けてきたのかを次の世代がしっかりと知り、受け止めて、次は自分が新しい環境の中でそれをさらに高めていこうという気持ちを芽生えさせること。これは言わば教育ですが、これが希薄になってきてしまっているというのが日本の現状だろうと、私は深刻に考えています。

海外から評価される日本のファミリービジネス

「ファミリービジネスこそ経営の主流」という私の記事が日本経済新聞に掲載されたのは、2008年8月29日でした。それから10年が経ち、ファミリービジネスに対する関心は当時よりも高くなっていると感じますが、海外と日本では、ファミリービジネスに対する捉え方はまったく違います。海外では、日本におけるファミリービジネスの3 代目・4 代目は非常に尊敬される存在です。しかし、日本で「ファミリービジネスの3 代目・4 代目」というと、どうも私利私欲を肥やしているような人だと思われがちなようです。

なぜ、海外の人たちはファミリービジネスに熱いまなざしを注いでいるのか。それは、日本のファミリービジネスの生きざまを高く評価してるからに他なりません。私利私欲ではなく社会のために頑張る。だから長寿経営を実現している。それを海外の皆さんはよく知っています。日本国内の100年企業は今では3万社を超えるわけですが、その企業それぞれが、口では大きなことを言わないかもしれないけれども、社会に評価されることを代々やってきた。その結果が100年という歴史につながっているのです。

ですから、ファミリービジネスが経済の主役であることを、みなさんもぜひ誇りに思い、またそれを目標に頑張っていただきたい。そして、より社会に評価される、より社会に愛される、より社会に尊敬される、そういう存在になっていこうではありませんか。

後藤俊夫氏の基調講演に先立ち、百年の計実行委員会委員長 赤池 学氏より、開会のご挨拶がございました


ユニバーサルデザイン総合研究所所長
科学技術ジャーナリスト
百年の計実行委員会
実行委員長 赤池 学 氏

パネルディスカッション

百年を超える長寿企業に学ぶ事業継続性の極意


パネリスト


株式会社まるや八丁味噌(創業681年)
代表取締役社長 浅井 信太郎氏


中北薬品株式会社(創業292年)
代表取締役社長 中北 馨介氏


関谷醸造株式会社(創業154年)
代表取締役 関谷 健氏

ファシリテーター

横田アソシエイツ 代表取締役
慶応義塾大学大学院
政策・メディア研究科特任教授
横田 浩一 氏

長寿企業・100年のストーリー

THE EXPO 百年の計 in 名古屋。第一部の基調講演に続き、第二部のパネルディスカッションには、愛知県を代表する3つの100年企業のトップが登壇した。1337年創業、株式会社まるや八丁味噌の代表取締役社長 浅井信太郎氏、1726年創業、中北薬品株式会社の代表取締役社長 中北馨介氏、1864年創業、関谷醸造株式会社の代表取締役 関谷健氏の3氏。ファシリテーター・横田浩一氏(横田アソシエイツ代表取締役/慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任教授)の進行のもと、それぞれの経験や経営哲学、企業精神に基づいた興味深い話を語った。

横田今日はよろしくお願いいたします。まずは、それぞれ創業から今日までに確立した事業についてお聞きしたいと思います。

浅井まるや八丁味噌は1337年創業ですが、八丁味噌という名前の起源は1600年頃と言われています。徳川家康公の生誕の地である岡崎の味噌が江戸に運ばれた際、その味噌が岡崎のお城から八丁ほどの距離にある八丁村の味噌蔵で作られたということから、八丁味噌と呼ばれたわけです。その当時から守られている製法を淡々と受け継ぐことが弊社の事業のすべてであり、それをそのまま次へと繋いでいくこと。それが、社長に就いて20年弱にわたり私がやっていることです。

中北弊社は油屋から始まりまして、薬種商を始めた二代目が定めた「信用・誠実・質素」という家訓、今ではこれが社訓となっていますが、この社訓を中心に、決して派手にならず、地味にコツコツと、地域に密着した経営をして今に至っています。

関谷弊社は150年余り前に創業した酒蔵です。お酒は戦後に配給の時代があって、国によって価格が決められていました。その後、価格が自由化されて、安価な酒を造る会社と比較的高価格帯の酒を造る会社に枝分かれしたのですが、うちは先々代である祖父の時代に高価格帯のほうへシフトしました。今も業界の中では高品質・高価格の蔵と位置付けられているかと思いますが、これは祖父からの恩恵ではないかと思います。

もう一つの軸は直売です。うちは良くも悪くも田舎にあり、早い段階から小売りの酒屋さんが地域からなくなってしまったので、それを補うために直売を充実させる取り組みを先代から続けており、そのシェアが今ではある程度大きくなってきています。

守ってきたもの。革新したもの。

横田創業以来継続してきたこと、守られてきたことがそれぞれにあると思います。また新しくチャレンジされていることも教えて下さい。

浅井八丁味噌は、江戸時代から2軒の味噌蔵で作られてきました。1つは東海道の北側にある早川久右衛門家のカクキューさん、もうひとつは、東海道の南側にある大田弥治右衛門家。これが弊社です。

木桶で作ること。2年以上熟成させること。そして仕込み重量の2分の1以上の重さの石を木桶に乗せること。これが2社の間に決められた八丁味噌の製法の約束であり、これをずっと守り続けています。そして今も2か月に1回、互いのデータを見せ合い、3つの約束が正しく守られているかをチェックすることで、品質を維持しています。

一方、私は30歳を過ぎて会社に入りましたが、その中でオーガニック、いわゆる有機というものに取り組みました。当時、ヨーロッパではすでに有機食品の重要性が語られていましたが、日本にはまだまだその認識はありませんでした。
新しいことを進める上で、一番の敵は得てして社内にあるものです。正面をきって反対する人はいませんでしたが、できない理由をいろいろと並べられました。おそらく、私が何をしたいのかわからなかったのだと思います。でもそれは当たり前。老舗企業としての歴史があるのに、後から入ってきた人間にいきなりやらせるわけにはいかなかったのでしょう。なので、私は自力で原料を仕入れ、自力で売り先を探すことで、有機化を進めました。

浅井 信太郎氏

中北弊社は、先ほども申しました二代目の伊助が残した家訓「信用・誠実・質素」という軸を守ってきたからこそ、今まで続いてきたのだろうと思っています。

私は以前、武田薬品に2年ほどおりまして、今でいうMRをやっていたのですが、中北に入って現場に配属された時に、「この会社はいずれなくなるのではないか」と感じました。すべての支店がローカルルールで動いていて統率が取れておらず、合理化には程遠い状態。同じ志を持っている若手社員と倉庫のレイアウトを変えてみたり、物流センターの機軸を作ったり、いろいろと新しい挑戦をしました。周りからの反発たるや大変なものでしたが、それでもその都度1人や2人は味方についてくれる社員がいて、そうした仲間のおかげで改革に取り組むことができました。

しかし、母親からいろいろ聞いてみますと、私の父親も、また祖父も、若い頃には似たような挑戦をやっていたようで、DNAというのは恐ろしいものだなと感じています。

関谷守ってきたことは、当然ですが真面目にきちんとお酒を造ってきたこと。これぞ関谷醸造のクオリティーだと納得していただけるものを作ってきたことです。日本酒業界には少し前に吟醸ブームという流れがありまして、多くの酒蔵が拡大路線に走りましたが、拡大すると原料米のクオリティーを維持するのが難しくなりますし、蔵人の負担も大きくなります。そんな時に先代は、無理に増やすことはせず、増やしても前年比+5%までという指示を出して、その代わりにいい酒をきちんと造ることを徹底してきました。

新しくチャレンジしたことは、原料をきちんと自分の手でコントロールするということ。うちは全体の55%程度の米を地元産で賄っていますので、高齢化が進み地元の農家さんが引退してしまうと非常に困ってしまいます。そこで、自分たちで米を作ることを目指し、新しくアグリ事業部を立ち上げました。高齢化で使われなくなった田んぼを譲り受け、米作りに取り組んでいます。

経営の危機をどう乗り越えてきたのか

横田創業以来、さまざまな逆境や苦難があったかと思います。それをどのように乗り越えたのかを教えて頂きたいと思います。

浅井弊社は江戸時代には大名貸もしていたそうなのですが、時代が明治になったことで大名から貸したお金が返済されなくなり、大正、昭和と時代が移るにつれて事業が衰退していきました。昭和6年にはいよいよ経営が行き詰まり、隣のカクキューさんに「社員とともに蔵を引き受けてほしい」とお願いをしたそうです。しかし、カクキューさんはそれを断った。ライバルでありながら、東海道の南側で事業を続けてほしいと言い、今のように会社を乗っ取ってしまうようなことをしなかったわけです。そのおかげで、2つの蔵が今日までライバルでありつつ共存してこられた。この関係は、我々にとって非常に大きく大切なものです。

中北我々の業界は、今までよりもむしろこれからが苦難の道です。業界では2030年までにジェネリック医薬品を数量ベースで80%にするという目標が立てられています。これは相当な痛手で、例えば、薬価10 0円の商品の特許が切れると、ジェネリックではそれを40円で出せることになっています。60円も値段が下がるわけです。つまり、同じ粒数を売っても売上が半分以下に下がってしまいます。これがすでに国のルールで決められている業界なんです。この厳しい状況の中、これからどういう組織作りをし、運営をしていくのかを、知恵を絞って考えなければいけません。過去よりも今からが苦しい時期に入るのではないかなと思います。

中北 馨介氏

関谷4代目の曾祖父の時代、弊社は金融業もやっていたそうですが、その時に昭和の恐慌が起こり金融業が破綻したことで、会社自体がなくなりそうになったことがあったそうです。その時は親戚一同が出資して組織変更することで、なんとか危機を乗り切ったと聞いています。

他にも、父の時代には蔵人の高齢化の問題がありましたし、平成7年にはコメの大不作があり、リーマンショックの時には飲食店の需要が大幅に減ったこともありましたが、その都度、目先で何かをするのではなく、「今これをやっておけば10年後には何とかなっているだろう」という長期的な視点に立つことで、危機を乗り越えてまいりました。

人材育成における取り組み

横田時代に合わせて成長する中においては、組織や人材というものも大事かと思います。その人材の育成についてもぜひお聞きしたいと思います。

浅井私は、社長というものは決して優秀でなくてもいいのだろうと思っています。社長の両サイドを固める社員が優秀であれば、社長も優秀に見えるものです。ですから、そうした人材は積極的にハンティングしてきました。

一方で、今では若い社員も育ってくれていまして、例えば私が10日間留守をしても、私への連絡はスケジュールの問合せぐらいしかありません。充分に私の思いを継承してくれる社員が育っていると感じています。

中北うちの会長が社長時代に言っていたのは、「入ってきた人材をどうやって教育するかが課題であって、優秀な人材を残すことが課題ではない」ということ。なるほどな、と思いました。

今いる人材をいかに育てていくのか。それは、現場に配属になった時の上司がどう指導していくかによるのだと思います。社員がどうしたらいいか迷っている時に、解決策を方法論としてきちっと教えてあげる上司がいるかどうか。それによって辞めるか留まるかが決まると思っています。私自身も、新入社員をグループ分けして一緒に飲みに行く会を、社長になってからも14年間続けています。

関谷うちでは、社員ごとに課題を示したシートを作って、それをもとに昇給などの評価をしています。直属の上司1人だけの判断だと好き嫌いが出てしまう場合もあるので、各部署のリーダー全員で評価するようにもしています。

もうひとつは、蔵人の育成です。酒造りというのは、数値化できない、五感に頼らざるを得ない部分があります。しかし、五感に頼るだけの育成にはどうしても時間がかかるので、ある程度数値化できる部分と感性に頼る部分をうまくマッチングさせながら、3年程度で一人前になれるような取り組みをしています。


関谷 健氏

事業承継に向けた想い

横田次に事業承継、また後継者の育成についてどうお考えか、お聞かせください。

浅井今はまだ息子にそういう話をしているわけではありません。私も自分で考えて経営をやってきましたし、自ら学ぶことなのだろうと思います。私と同じことをやる必要もありません。今や八丁味噌は岡崎市民のものでもありますので、それを岡崎の資産として残していく。これを大前提に考え、脈々と続いてきた伝統を大事にしつつ、自分の形を作っていってくれればいいのではないかと思っています。

中北父親とは今も喧々諤々やっていますし、これまでもそうして参りました。世代が違う社長にいかに逆らい、新しい時代をどう築いていくかということが事業承継なのではないかと私は思っています。父親の言うことは聞かない。これが事業承継のコツではないでしょうか(笑)。

関谷私はまだ社長になって8年で、次をどうしようかというプランもまだありません。うちは子供が娘2人なのですが、酒蔵って、お婿さんが入ったことで伸びている例が意外と多いんです。「子供は選べないが婿は選べる」という格言もあるそうですし、それにちょっと期待をしようかなというのが冗談半分としてあります。

ともかく、常に良い会社であり続け、娘たちがやりたいといえば渡せるように、また資本と経営の分離のようなことをしなければいけないのであれば、我こそはという人が出てくれるような会社であり通づけるように頑張らないといけないなと思っています。

これからのビジョン、超長期経営に向けて

横田人口が減っていく中、あるいは高齢化が進む中、これからも厳しい局面がきっとあると思います。その中で超長期経営に向けた戦略やビジョンがあれば、教えていただきたいと思います。

浅井我々のマーケットは、そもそもがマイノリティーであります。そのマーケットをマイノリティーなりに築き上げていくこと。そして、現在の生産量を維持し、八丁味噌を必要としてくださる方に必ず供給できる体制をこれからも守っていきたい。そして、岡崎の地でこの味噌を作り続けることを第一に考えていきたいと思います。

中北なるべくフレキシブルに動ける組織作りをしていきたいと思いますし、今でもそうしているつもりです。私が社長である限りリストラはしませんし、過去にもありませんでした。上場をするつもりもありませんし、現状のエリアの中でどうやって営業活動をしていくかをこれからも考えていきます。女性の離職率を下げるような取り組みもいろいろと考えるなど、なるべく時流に逆らわないように、かつ他の大手の問屋がやっていないようなことをしっかりやっていこうと考えています。

関谷うちの商品は約9割が愛知県内で消費されていますが、これからはどうしても販路が減っていきますので、これからは県外に進出していくことを考えていますし、海外への輸出も少しずつ増やしていきたいと考えています。

私は、酒造りというのは製造業ではなくサービス業だと思っています。酒を造るのと同時に、みなさんに気持ちよく酔っていただくための時間を作っている。そのお手伝いをする会社でありたいと考えています。ただ物を作って買っていただくだけではなく、シチュエーションを作ることで会社が成り立っていけるように、これからはサービス業化を進めていきたいと思っています。

横田SDGs、持続可能な開発目標が国連において採択されました。持続可能な社会をつくるために貧困や環境など17の開発目標に向かい、2030年をゴール地点に定め、そこから逆算してアクションプランを推進する考え方です。企業の役割として、社会課題をビジネスで解決する、つまりソーシャルビジネスへの取り組みが期待されています。

ソーシャルビジネスに取り組むことは、いい人材を集めることや、社員が高いモチベーションで働くこと、さらにブランド力を上げることにつながります。その点で言うと、今日ご登壇下さった3社は、まさに持続可能なことをやられて実績を残されてきたわけです。つまり、SDGsと100年企業は非常に親和性が高いわけで、この3社からSDGsを学ぶ意味は非常に大きいと感じながら、お話を聞いておりました。

今日はご協力くださいまして、本当にありがとうございました。

イベントスケジュール