第十回新潟開催レポート

平成30年11月16日(金)第10回目の開催となる「THE EXPO~百年の計~ in 新潟」が新潟県新潟市内にある、「ANAクラウンプラザホテル新潟」にて開催されました。

「THE EXPO~百年の計~」は、これまで長寿企業が培ってきた歴史と経験の中から、100年企業が独自に持つ"哲学" "歴史観" "文化"を学び、「正しい判断基準=企業の姿勢」と向き合う機会を提供するイベントです。"事業継続性"をテーマとしたパネルディスカッションをメインプログラムに、地域活性化のため、優良企業間のコミュニケーションの場を提供するための懇親会も開催しています。

プログラム

第1部:後藤俊夫氏「(一社)100年経営研究機構 代表理事」による基調講演
第2部:100年企業によるパネルディスカッション
第3部:交流会

基調講演

日本の長寿企業文化は今、世界から注目されている


日本経済大学大学院 特任教授
一般社団法人100年経営研究機構 代表理事 後藤俊夫 氏

新潟県における長寿企業の分布と傾向

 皆さん、こんにちは。今回「THE EXPO 百年の計」は10回という節目を迎えまして、これまでご支援いただいた皆様に、私からも深くお礼申し上げたいと思います。

 今回は新潟での開催ということで、ここ新潟における長寿企業の傾向はどういったものかを紐解いてみたいのですが、私のデータによれば、新潟県内最古の長寿企業は南魚沼郡湯沢町の高半ホテルさん。西暦1075年、承保2年創業でございます。

 都道府県ごとの長寿企業の分布というものは、通常は県庁所在地にその数が集中するものです。しかし新潟県は特殊で、新潟市以外にも魚沼、燕、長岡、村上と、各地に100年企業が分布している。これが新潟県の特徴と言えるかと思います。業種別で言えば、やはり米どころ、酒どころと言われるだけに酒造業が多く、次いで旅館、和菓子の順となっております。

長寿経営の重要性に共感した2人のノーベル賞受賞者

 私は近年、2人のノーベル賞受賞者と極めて親しく話をする機会を得ました。1人はアメリカのアル・ゴア元副大統領です。地球環境保護への取り組みでノーベル平和賞を受賞したのは2007年のことですが、そのゴア氏と2014年9月30日に会い、そこで私は長寿企業の重要性を5つの点から申し上げました。

 まず1つめは、公益の重視。2つめは、その結果としてたくさんの市民の支持と信頼を得ていること。市民の支持と信頼があるからこそ続いていると言ってもいでしょう。そして3つめは身の丈経営。これはリスクをできるだけ避ける経営であり、余計な投資をしない経営とも言えるでしょう。この言葉は非常にユニークで、日本語以外ではあまり適切な表現が見当たらず、英語でも中国語でも翻訳に苦労するのですが、日本では当たり前の概念であり、こうした概念が定着していることも、多くの企業が長く続いていることの要因の一つだと言えます。

 4つめは最も重要なポイントですが、地球上の限られた資源を節約し活用していること。5つめは結論として、以上の4点をもって長寿企業は世界が求める持続的成長モデルの見本となり得るものだということを申し上げました。ゴア氏はこれに対し、長寿企業大国日本に対する敬意を表明され、私の話に同意をいただきました。

 2人目はムハメド・ユヌス博士です。2017年の2月22日にお会いしました。ユヌス博士はバングラディッシュにグラミン銀行を作りたくさんの貧しい人々を救っただけでなく、ソーシャル・ビジネス、社会企業という概念を強く提唱して、世界を飛び回っておられます。私は、ユヌス博士の提唱するソーシャル・ビジネスと日本の長寿企業には共通点があるということを彼に伝えたかったわけです。

 ユヌス博士のソーシャル・ビジネスには七つの基準があるのですが、それを簡潔に要約しますと、社会的課題の解決にビジネスの手法を用いるということになります。すなわち、社会性と事業性の両立ということです。私から見れば、これはまさに長寿企業の取り組みそのものです。私利私欲ではなく社会のためを考えつつ、ビジネスとしてお金をまわしていく。まさに事業性と社会性の両立だということで、非常に強い握手を長く交わしたわけでございます。

中国は国家レベルで日本の職人精神を学ぼうとしている

 今、中国では大変なことが起きています。日本では報道されておりませんが、2016年3月、李克強首相が演説で「工匠精神」という言葉を用いました。これは、日本語で言うところの職人精神、あるいは職人気質という言葉にあたると思いますが、これを国の中枢を担う人物が発言したのです。同じ2016年の12月、今度は習近平国家首席が中央経済工作会議という非常に重要な会議で再びこの「工匠精神」に言及し、さらには「百年老店」、すなわち百年企業、長寿企業という言葉までも発言したのです。

 中央経済工作会議は翌年の経済基本方針を決める重要な場であり、2016年の会議では実体経済の進行が重点方針として示されました。そしてそれを履行するためには、工匠精神を発揚して国際的なブランドを生み出し、「百年老店をつくることが必要だ」としたのです。国のトップが長寿企業の重要性に言及したのは、これがおそらく世界で初めてなのではないでしょうか。日本でも、総理大臣がこうした発言をしたことは私の知る限りありません。

 このような注目が集まる中、この8月には私が仲間と共に書いた本『長寿企業のリスクマネジメント』の中国語版が発売され、中国のAmazonで売上1位になりました。中国でなぜこれだけ売れたのかといえば、当然のことながら李克強首相あるいは習近平首席の発言が追い風になっていることは間違いありません。

 その本の中で私は、日本の職人精神は日本の宝物、国宝なんだと書きました。それがあるから日本は長寿企業大国なんだと。このことが今、中国で非常に注目を浴びているということであります。

災害の多い日本で経営を続ける長寿企業はもっと称えられるべき

 中には、長寿企業に対する批判の声もあります。「企業には、経済効率性の視点から適度な新陳代謝が望ましい」という言葉が、よくアメリカの経済学者から聞かれます。

 私はこれには大反対です。従業員の立場、あるいはお客様の立場から見れば、企業が明日突然なくなれば当然困ります。あるいは会社が潰れるということは、特別損失が発生することにもなります。これこそまさに、私がゴア副大統領に伝えた「地球上の資源の無駄遣い」につながることであります。短期的な効率性、短期的な事業の拡大を重視するのではなく、もっと長期的に、しかも全地球的な視点からものを考えれば、どちらが正しいのかは自ずとわかるのではないかと私は考えます。

 またある人は、「成長を抑えるような企業は、そうではない企業に経営資源を移動すべきである」とも言います。ここで言う成長抑制的な企業というのは、実は長寿企業のことを指しています。長寿企業は、成長を抑えているのではなく、ゆるやかに伸びていくものです。その資源を、短期的に大きくなりやがて潰れていくような会社に移動させることは、マクロの視点から見ても間違いだと考えています。

 「日本は島国であり平和だから長く続く企業が多いのは当たり前だ」という声も聞かれるのですが、これもとんちんかんな話です。確かに、海外からの侵略も内乱も比較的少なかったことは事実でありますが、一方で日本は地震や津波、台風のような自然災害に幾度となく見舞われてきました。その中で経営を100年以上続けることは非常に困難であり、大いに称えられるべきものであると私は考えています。

自分たちは経済の主役だという誇りを持ってほしい

 最後に、ファミリービジネスについて。このテーマは皆様にとって非常に重要な意味を持つのではないかと私は考えております。実は、世界の最古10社のほとんどはファミリービジネスです。企業が100年以上続くということは極めて大変なことであり、日本にある企業全体のわずか1%に過ぎませんが、その長寿企業の約9割もファミリービジネスが占めているのです。これは、長寿経営における家・ファミリーという軸、大黒柱の存在こそが大きな条件だということを示すものではないかと思います。

 ファミリービジネスは日本全体の企業数260万社のうち97%を占めており、働く人々の比率で見ますと、77%がファミリービジネスで働いています。ですから、ファミリービジネスに身を置かれるみなさんは、自分たちは経済の主役なんだという誇りをぜひ胸に持っていただきたいと思っています。その強みを徹底的に生かしていくことで、社会に評価される存在として進もうではありませんか。

ユニバーサルデザイン総合研究所所長
科学技術ジャーナリスト
百年の計実行委員会
実行委員長 赤池 学 氏

後藤 俊夫氏の基調講演に先立ち、
百年の計実行委員会委員長 赤池 学氏より、
開会のご挨拶がございました。

パネルディスカッション

百年を超える長寿企業に学ぶ事業継続性の極意


パネリスト


千年鮭きっかわ、株式会社きっかわ
(創業392年)
代表取締役社長 吉川 真嗣氏


株式会社百花園(創業136年)
代表取締役社長 太田 等氏


マルソー株式会社(創業105年)
代表取締役社長 渡邉 雅之氏

ファシリテーター

横田アソシエイツ 代表取締役
慶応義塾大学大学院
政策・メディア研究科特任教授
横田 浩一 氏

長寿企業・100年のストーリー

THE EXPO 百年の計 in 新潟。第一部の基調講演に続き、第二部のパネルディスカッションには、新潟県を代表する3つの100年企業のトップが登壇した。1626年創業、千年鮭きっかわ 株式会社きっかわの代表取締役社長 吉川真嗣氏、1882年創業、株式会社百花園の代表取締役社長 太田等氏、1913年創業、マルソー株式会社の代表取締役 渡邉雅之氏の3氏。ファシリテーター・横田浩一氏(横田アソシエイツ代表取締役/慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任教授)の進行のもと、それぞれの経験や経営哲学、企業精神に基づいた興味深い話を語った。

横田本日はよろしくお願いします。まず、創業から先代までに確立・成功した事業モデルを教えていただければと思います。

吉川私どもはもともと米問屋だったと聞いています。江戸の後半からは造り酒屋となり、戦後はふるさとの味をなくしてはならないと、父が鮭料理の製造販売に取り組むことになりました。

 村上の鮭料理というのは、1000年も前に朝廷に租税として納められていた歴史があり、村上は鮭に助けられ、支えられてきました。その鮭を粗末にせず、すべてを生かして食べるのが村上の鮭料理であり、各家庭で作られ受け継がれてきたものですが、戦後はその鮭料理が廃れました。父は「このままでは村上の大切な食文化が失われてしまう。これを残し伝えていかなければ」という志を立てて、誰も鮭料理を製品として作ったことがない時代にそれを始めました。世間から笑われ、銀行からも時代遅れと融資を受けることができず、厳しい経営が続きました。それが今では村上は「鮭料理の町」だと言われるまでになり、マスコミなどで頻繁に取り上げられるようになりました。誰も見向きもしない時代から「村上の鮭食文化を絶対なくしてはいけない」と信念を貫いた父の功績だと思っています。

吉川 真嗣氏

太田初代の太田新太郎は、新潟の菓子職人たちに技術を教えるため、新潟の菓子店の招きで明治の初期に東京からやって来ました。明治11年、明治天皇が北陸巡幸で新潟に来られた際と明治14年、山形県の酒田に巡幸された際と、二度にわたりお菓子を献上しました。

 そのようなことから弟子も増え店も繁盛しましたが、養子にした二代目新太郎は病気がちで、三代目になるべく私の父が16歳で養子に入るのですが、出征や抑留を経験し、昭和24年にようやく帰ってきました。その時に「自分の代で百花園をたたむわけにはいかない」と決心し、母と店の再建に動き出しました。

 我々の業界では4年に1回、全国でお菓子の博覧会があるのですが、父は昭和36年の名古屋大会の式菓子部門で名誉大賞、次の昭和40年の大会では上生菓子部門で副総裁賞と、2回連続して大きな賞をいただきました。そのことから再び弟子も集まり、多い時には6人が住み込みで働くなど、店も徐々に繁盛していきました。

渡邉創業者は私の曾祖父の渡邉寅治と申しまして、加茂市で創業いたしました。当時は農業、林業、養蚕業に加え牛馬商、いわゆる博労をやっており、その中で売れ残った馬を使い馬車運送をスタートしたのが原点だと聞いております。非常に事業意欲旺盛な人だったようで、当時からいろいろな事業をやっており、それが今もDNAに刻まれているのかなと感じています。

 その後、2代目の喜一郎の時に三条市に移り、そこから物流、そしてロジスティクスという最近の情報システムを駆使したものに転換してまいりましたが、その中で各方面から運送以外のいろいろな相談を受け、基本的にはそれらにすべてお応えする姿勢でやって参りました。事業意欲旺盛なDNAのもと、気がつけばいろいろなことをやっておりまして、今は多角化のいい部分を生かしながらリスク分散をする経営スタイルに転換しております。

守り続けてきた伝統の誇り

横田創業以来継続してきたこと、守られてきたことを教えていただければと思います。

吉川単なる物の売買ではなく、発酵・熟成という特別な手を施したものづくりをしてきたのが、うちの一つの特徴ではないかと思います。

 一方では、地域とともに歩んできた歴史もあります。先々代である私の祖父は地元では有名な消防団長でしたし、父は村上の文化を復興させる役割を果たしました。そして私は今、町おこしをやっています。村上は素晴らしい歴史の跡を残す城下町であり、この町を近代化してしまっては価値を著しく失ってしまう。その価値を私に教えてくれる人との出会いがあり、この20年間、歴史を生かした町づくりをやってきました。

太田うちの伝統は、技術で裏打ちされた、誠実で妥協しない菓子作りかと思います。初代は東京から技術を教えに来たわけですから間違いなく高い技術があったと思いますし、三代目も決して妥協を許さず、おいしさと日本的な美しさを追求する菓子づくりをしてきました。

 菓子の技術ということでは三代目の父には到底及びませんが、私もうまい菓子づくりにはこだわって参りました。古くから京都で和菓子の原材料を扱っている問屋に「おいしい原材料はないか」と聞き、見つかればすぐに取り寄せて新しい商品を作ったりしておりました。

太田 等氏

渡邉祭祀の重要性を小さい頃からよく聞かされていまして、毎日の仏壇、神棚のお参りはもちろん、お墓参りも会長夫婦、私ども夫婦、それから息子夫婦と3つに分け、月に3回墓参しております。また、うちの父は事あるごとに写経をしておりまして、悩んだ時、会社が大変な時に100日ワンセットで写経をするんです。もうかれこれ16回目でしょうか。最近は母がやっております。

 それから、五泉市の菅沢という小さな集落が渡邉家ゆかりの地ということで、そこにある六社神社から8年ほど前に御分霊をいただき、自宅庭に六社神社を建立しました。

 これらのおかげか、危機に見舞われても見えない力、不思議な力で助けていただいているのを実感しております。

経営の危機をどう乗り越えてきたのか

横田創業以来、決して順調な時代ばかりではなかったと思います。さまざまな苦難や逆境をどう乗り越えてきたか、あるいはそこからどう教訓を得たのでしょうか。

吉川30年ほど前に一気に経営が行き詰まり、明日には倒産するかという状況に陥りました。しかし、債権者の方々や商工会議所、市役所の仲間たちが「きっかわ頑張れ」と励まし、応援してくれたと聞いています。ここまで村上の食文化を守ってきたきっかわをつぶしてはならないと言い、助けてくれたそうです。

 やはり、世のためにやってきたことが、支えていただける理由になったのだと思います。地域のことや世の中のことを考えずに目先の利益ばかり追いかける企業は、いくら大きくなっても人から支えられることなく、消えていくのだろうと思います。

太田うちは、まさに今が逆境であり、苦難の時かなと。コンビニのスイーツなどが急速に伸びてきましたし、贈答文化の衰退によってお使い物も非常に減少しています。なにより新潟県は昔から冠婚葬祭には立派な式菓子を付ける風習がありましたが、最近は家族葬が増えたり結婚式に呼ぶ人数が減ったりしていますから、今までのことを継続しつつ何か新しいことをして、いつか「あのピンチは実はチャンスだったのだ」と思えるようにしたいと思っています。

渡邉父が高校生の時、当時の社長である祖父が一時期失踪しまして、さすがに社員もあきれてみんな辞めてしまいました。「会社を畳め」とか「身売りをしたほうがいいのでは」などと言われたらしいのですが、父は「俺がやらなきゃご先祖様に申し訳ない」という気持ちで、免許もないのにオート三輪に乗って仕事をしながら、なんとか学校を卒業したと聞いています。

 私が平成16年に社長になった後ですと、吹雪の中を走っていたうちのトラックが歩行者をはねて、初めてで唯一の死亡事故を起こしてしまったことがありました。あやめてしまったその方の葬儀に社長として出させていただいて、いろいろな意味で覚悟ができたのかなと感じております。明けない夜はない、春が来ない冬はない、そんな気持ちでやってきましたし、家族一致団結して乗り越えて参りました。


渡邉 雅之氏

人材育成における取り組み

横田次は人材育成について。人材は大変重要な経営資源です。採用も含めた人材育成について、戦略や実践されていることを教えていただければと思います。

吉川私は以前、会社を伸ばすのが自分の仕事であり、それに従い手伝ってくれるのが社員、従業員であろうと、やや傲慢に思っていました。ところがある時、ある素晴らしい会社の方から「社員は家族という思いで社仕事に向かい合わなければいけない」という話を聞いて、俺は今まで働かせているだけだったと思ったんです。

 私は社員の前で「これからは、一緒にここで働く以上、その期間幸せだった、ここの会社に入ってよかったと思われるような会社にしたい」と言って頭を下げました。そして、社員のいいところを見つけて褒めるようにしました。

 すると、その3年後、会社が一番大変な時に、社員たちが本当に頑張ってくれました。2~3人程度にしか伝わっていないだろうと思っていたのですが、いつの間にか社員全体に私の考えが広まっていて、それで私は助けられたのです。

太田採用は慎重に行い、採用したのであれば、何かの縁があって来てくれたのだと思い、その人の長所を見つけ、認めるようにしております。また、「百花園で自分は成長できている」と感じてもらえるように、また働かせられているのではなく自ら喜んで働いてもらえるように、そんなことに気をつけながらやっているつもりです。

 労働条件の改善で言うと、かつて菓子屋というのは朝早くて夜は遅いのが当たり前だったのですが、うちは菓子屋の中では早いうちに週休2日制を取り入れ、また育児休暇などもできる範囲で少しずつ制度化しています。昨年は2名、おととしは1名が育児休暇を取得しました。

渡邉社員は家族のように、子どものようにという考えの下でやらせていただいています。特に若い人には、ビジネスのルールより生きる力をしっかりとつけてあげたいと思っていますし、この世に命をいただいた意味、人としてどう生きるべきなのかという心の学びも大事にしております。

 また、女性にも活用していただけるよう昨年から事業所内託児所を展開していますし、介護を理由に離職してしまう社員も多いので、介護をしながらでも働ける仕組みも考えております。

事業承継に向けた想い

横田事業承継はみなさんにとって大切な問題だと思います。ここまで続いた企業を次の代へ続けていくということでのお考えをぜひ伺いたいと思います。

吉川ある時、百貨店の催事で出会った社長さんから、「1日でもいいから自分の子供をここに連れてきて自分の姿を見せてやりなさい」と教えていただいたんです。うちはそうやってきて、2人いる息子が両方とも継ぎたいと言っていると。

 「俺もそうだったな」と思いました。父が一生懸命やっている姿を、図らずもですが私も見てきたわけです。一生懸命いい仕事をしていても、現場を見せずに親がどんな仕事をしているかわからないのでは継ぎようがありません。わが家では、常に仕事をしている背中を見せ、仕事の話には娘も交えます。一人娘でまだ中2なのですが、きっとこの子が継いでくれると私は思っています。

太田私の場合は菓子屋の息子として当然家業を継ぐものとして育てられ、私自身もあまり不思議に思いませんでした。ただ、時代も変わりましたし、なかなか厳しい業界でもありますので、息子には、跡を継がせるような意識はさせないで育てたつもりです。

 長男と次男がそれぞれ高校と中学の頃、事業承継についての話をした時に、長男が弟に「俺は継がないからお前が継げ」と言ったら、弟は「俺も継がないよ」と。そのあと家内と話をして、とにかく仕事に対しての愚痴はもう言うまいと決め、あとは静観する事にしました。これは一種の賭けだったと思います。

 家内は、時間があまりない中でも家族の行事などを欠かさずやってくれましたし、仕事は大変でしたがそれなりに楽しくやってくれていたのではないかと思います。そういった無言の行動を見ていたのか、長男が大学卒業を控えた頃、「やっぱり菓子屋に行く」と言ってくれました。結果的には私の理想の形になったわけです。

渡邉わが家は幸い、4代連続で第一子に男の子、第二子に女の子が生まれております。すでに私の次、そのまた次も存在している状況ですが、私も大家族の中で「お前は跡継ぎだぞ」と、ほぼ洗脳に近い形で私も言われてきましたし、息子も孫もそう言われているので、おそらくすんなり後継するのかなと感じています。私の孫は小学校1年生になりましたが、「僕はマルソーの社長になる」と口に出して言ってくれていますので、うれしく感じております。

これからのビジョン、超長期経営に向けて

横田最後の質問です。これからの超長期戦略についてどうお考えか、ぜひ教えていただければと思います。

吉川塩引き鮭や酒びたしという特色あるものを作るうちの敵は何かといったら、原材料となる鮭の不漁のです。もし獲れなくなったらどうするのか。しかしそれでも村上の食文化を失ってはいけないし、会社が成り立つようにしておかなければいけない。

 なので、例えば鮭を野菜に置き換えるなど、この発酵や熟成の技を生かしたもう一つの柱を立てることで、村上の文化を守っていこうと思っています。その考え方の起点となっているのは、人を感動させることをやりたい、驚かせるようなことをやりたいという、私が町づくりでやってきたことと同じ一つの美学です。

太田さまざまな逆風が吹いている中、今までやっていなかった何かをやる必要があると、このところ感じております。その一つが、専務である長男が始めた和菓子のケータリングです。最初は手間ばかりかかって採算が取れず、商売として成り立たないと思っておりましたが、始めて3年経ち、最近は手応えを感じております。実際、それを体験された方は「非常に良かった、満足した」という声をくださっています。

 この和菓子のケータリングの魅力は、和菓子を通して和の世界、和の雰囲気を味わっていただく、また楽しんでいただくことにあると思っております。和菓子は日本独自のものであり、世界に誇れるものです。春夏秋冬、季節の移り変わりによってお菓子のデザインも変わっていきます。この素晴らしいお菓子の文化を、なんとか後世に残したいなと思っています。

渡邉昨年の正月に、父と息子と男3人で、わが社の未来について、かなり熱い議論を交わしました。これまでは、物流という仕事は未来永劫なくならないという気持ちでいましたが、AI、IoTの進化による自動運転の車やドローンが物を運ぶ時代ですから、物流が危うくなる時代は確実に来るだろうと。

 だから、会社が元気なうちに違うビジネスモデルを考えようということになりました。しかし、それを一から立ち上げるのは大変ですから、M&Aを始めることになりました。今、なんともいえない醍醐味、楽しみをM&Aに感じています。これからも、物流にこだわらず、とにかくマルソーという会社を、形を変えてでも永続させることを考えながらやっていきたいと思います。

横田みなさんのお話を一通りお伺いさせていただきました。三者三様、いろいろな形のサスティナブルな企業の貴重なお話を聞くことができました。どうもありがとうございました。

イベントスケジュール